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もっと幸福になりたいんです

たまらなく何か文章を書きたくなる時がある。そういう時はこういう所でエッセイを書くことにしている。これは承認欲求の塊だからだろうか。文字を書きたくなる理由ははっきりわからない。まずキーボードに向かっている自分が好きだ。パソコンを開いて画面を見るのが楽しい。意味のある作業をしているんだと思える。無駄な一日を過ごしているわけじゃないんだと思える。そんな複数の理由だからだろうか。書いた文章を読み返して間違えがないか文字を追う。こんな所で間違っていると気づいた時、ああ、情けないなと思う。そんなちょっとしたことで少しだけ悲しくなる。私は詩を書いたり小説を書いたりするけど読まれないことには始まらない。感想を貰えば嬉しいし頑張ってくださいと言われれば、モチベーションが上がる。なのにそこそこ読まれていても悔しいという気持ちが残る。こんな所で燻っていたくないというかもっともっとと、欲望には際限がない。乾いた気持ちが心を支配する。虚しくなる。なんでどの編集にも見向きもされないのかと考える。きっと大した文章が書けないからだ。いいや、運だってある。見つけてもらえる機会がない。優秀賞でも取らないと出版社の目に留まることもない。それならもっといい小説を書けばいい。でももう疲れてしまった。その繰り返しが数年続いて疲れてしまったのだ。だからここでも書いたけど小説家になろうとするのを辞めてしまった。それよりも産まれてきた作品だけに集中してそれを供養していけばいいんだと思うに至った。書くことをやめようとは思えない。何かあるたびに妄想力が働いて物語が浮かんでくるからだ。これが呪われているという言葉なんだ。私はほんとよく書いてるけど小説に呪われている。こんな妄想や発想が日常で出てこなければもっと楽しい人生を送れるんじゃないか。でも書いている時はアドレナリンが出ているのか楽しい。このエッセイを書いているときも楽しい。もしかしたらそれでいいのかもしれない。それだけでも人生に色を添えているのかもしれない。気づかないだけで。あとは他人の成功に嫉妬することさえなければ、もっと幸せになれるはず。庭には美しい薔薇が咲いている。あの薔薇のように生きたい。

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