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小説 呪いの王国と渾沌と暗闇の主【プロローグ 盗人ベノム】

 サンディコ寺院には、内戦終結から一年が経過した現在も政府の派遣した治安部隊約二十名が尚も居座り続けていた。

 美しいステンドグラスから差し込む光の先にあるものは聖なる場所というよりは、むしろどす黒く荒れ果てた流刑所のような有様で、治安部隊によって囚われた幾人かの囚人らが手や足に鎖をつけ部屋の方々に転がっていた。

 建物の中央には、ついしばらく前までは美しい理路整然とした正四角形の庭園があり聖なる花草が聖職者によって植えられ、季節ごとに清らかな香を漂わせていた。訪れる者は自然と瞑想に誘われる。そんな場所であった。


 まもなく、退廃しきった中庭にて昼のセレモニーが行われようとしていた。治安部隊員が冗談で呼んでいたそれは単に処刑時間の事で、美しい庭は処刑場と化していたのである。ここに一人の犯罪者が連れられ、目隠しをされやってきた。彼は命乞いをしていたが、誰も聞く耳は持たずで(中には口元にうっすら笑みを浮かべる者もいたが)みな任務を遂行するだけの感情の無いな機械人形のようであった。中にいる唯一、人間味の抜け切っていない誰かが押し殺したような低い声で唸った。


「黙れ盗人!そしてお前は殺人者だ!空腹を満たすために何人も人殺しをしたのだからな。それもたった一日のうちに三人もだ!」

 その盗人、そして殺人者。名をベノムという。

 ベノムは、もはや中年を過ぎた年の功であるがおいおいと大声をあげ幼子さながら泣き出した。毛むくじゃらのうす汚れた髭の下には鼻水と涙がべっとりとくっつき、それを見た若い兵士が胸糞の悪いといった感で、唾気をはげ掛かった頭に吐き捨てた。蒼白なベノムの耳に誰かの合図とともに、まさに今、拳銃をかまえていると分かる乾いたがさがさ音が聞こえてきた。


(いよいよさぁ、いよいよ俺は殺される。俺は全く善良な市民とはいえないが、いや違う。あれはわざとやったんじゃないのさ。あれは違う、違う。腹が空いて空いて、仕方がなかったのさ、だってさぁ俺はもう7日間も食い物を口にしてなかったんだよぉ。気がついたらあんな風に。殺すつもりもなかったさ。なのに、なのに、ちくしょう、あの時のあいつ、きたねぇ奴でさぁ、金持ちのくせして俺に。ああ、神様、神様、本当は俺は悪くなんかねぇ。悪くなんか……)


 心のうちに自分へのまたは神への言い訳をしようとしはじめたその時に、彼の真横付近の扉が大きな音を立て、庭の中央へとひとつの影が勢いよく飛び込んできた。


 銃口は確かにベノムを捕らえていた。が、突如現れたその影は犯罪者ベノムを庇うように銃声とともに倒れた。

 影は小さな幼子だった。彼はこの時まだ、ほんの5、6歳ほどだった。ほどというのは、本人も誰もしらない。捨て子だからだ。いま確かなことは、ただひとつ。この場にいる誰よりも汚れのない身であるという事実のみ。


 額から血を流して横たわる幼子の周りに驚きを隠せない兵士たちが群がった。力を失った小さい手の内から、ぽとりと一個のパンが、こぼれおちた。一方、とっくに死んでいた筈のほうの男はどうやら気絶しているようで、頭を前のめりにして顔面は完全にべっとりと地に張り付いていた。


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