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小説 呪いの王国と渾沌と暗闇の主【第四話 ラッハルツ塔の番人(3)】

***


 主人は大聖堂の屋根の上に立っている。素足に、肌は雪白、意志の強い瞳は金色に近い薄茶色、黒く波打つ巻き髪は美しく肩になびかせて。口元に整った微笑みをたたえながら、よもや零落の一途を辿りゆく都を満足げに一望する。身につけている薄絹のシャツの、肩に、鴉がかまわずやってきて歌いだす。


 くぇけけけ、くぇけげげけけ!

 雲の上!

 地の底!

 光と闇!

 渾沌の主!

 やってきた!やってきた!やってきた!

 くぇけけけ、くぇけげげけけ!


 鴉は主人に賛美を期待したが、彼は高らかに笑って答えた。

「学者先生、舌足らずでは歌謡いにはなれぬ!」

鴉はぎゃあぎゃ鳴きながら羽をばたつかせた。


***



 その日の夜中すぎ。例の事件によって、鷲門には見張りが数名立っていた。近くの雑木林に隠れながら、彼らの様子をうかがっていた塔守の背後に、いつのまにやって来ていた大公殿下が、塔守と同じ姿勢で見ていた。

「おや?城の主が?」

「いやなに、今日は城内が賑やかでうるさいからね、こっそり抜け出してきたのさ」

「さては宴と称したお見合いですな?」

「なぜ?なぜ君がそれを知っているの?」

「亡くなられた奥方が忘れられないということもね」

「そんなことまでも?これは参ったね。いったいどこで仕入れてくるのやら。今は聞くまいよ。でも、そのうちに必ず白状させてやるからね」

「いつでもいいのに!」

「いいや、私は楽しみは後にとっておくのが趣味なんだ。君がいう通り。我が一族は呪われている。直系は私の代で終わるだろう。それはそうと、なにをこそこそと。私が一緒なら構わないだろう?さあ行くぞ!」

と言って立ち上がったが塔守は隠れていた。ああ、そうだったと思いなおって、一人でつかつか歩いていった。徒歩でいきなり現れた大公殿下に見張り番は驚いて動揺した。大公殿下は、彼らを離れた場所へさっさと追い払ってから隠れている人物に手を振った。

二人は、ともに裸体像を見上げた。額から唇までひびが広がっている。今朝より、ひどくなっていた。塔守は真剣な表情でいろいろな方角から眺めながら隣の若者に質問した。

「一生、独身でいるつもりで?」

「なんだ突然。ああ、独身でいるつもりだよ」

「愛は必要ですよ」

「愛だって?」と、言って大公殿下は、しらっとして、「愛なんて、いらないね。そんなものは信じない」

「ほお?で、とっかえ、ひっかえと、いうわけか」

大公殿下は眉間に皺をよせた。自分の耳を疑ってみようと試みて横顔をじろり見たが、しかしいつもと同じ横顔だったので、彼は聞こえよがしに呟いた。

「なんだろう?どうやら聞き違いでは、ないようだ。それにしても随分物事をはっきりと、いってくれるじゃないか。それとも以前からそうだったのだろうか?私の記憶違いか」

塔守は毅然と答えた。

「そりゃあ、あんたが、一人前になったからですよ!」

青年が(そうか!)と、納得したものの、もしや世の中で一番の強敵を作ってしまったのでは反省し、これからは十分用心せねばと心の中で決意を固めている間にも、塔守は背伸びをして斧を引き抜こうとしていた。

「おい、触れても平気かい?」

「たぶんね」

と、その時。二人は同時に顔を見合わせた。また同時に後ろを振り返ると、気配の正体は、這い上がってくる生暖かい埃風だった。目をこらしても後ろにはなにもない暗い平野が広がっているだけだ。土埃が地面を這うように、波のようにゆっくりと地をつたい、彼らの前にきては舞い上がり、薄闇から風に運ばれてきた切れ草が頬を撫でていった。

大公殿下は、すでに鋭い洞察で隣の男の眼球が落ち着かない様子で一瞬せわしく動き回った事に気がついていた。さりげない調子でこう尋ねてみた。

「顔色が悪いね。どこか具合でも悪いの?」

「え?いや。なんとも!あそうだ。わしは思い出した!失礼する!」

「仕事は終わっているのだろう?」

「他にも色々あるんですよ」

「色々?」

「事務仕事とかね」

「へぇそう。はじめて聞いた。そんな仕事があったなんて」

番人は、きびすをかえして足早に雑木林の向こうへ戻っていった。青年は一人残って、何もない暗闇の平野を、しばらくの間凝視していた。白い花びらが幾度か彼の頬を撫でた。不気味な夜だと、彼は思った。


 斧の事件から数日が経ち、大公殿下はこの日バルコニーで一人夜風にあたりながら、ある一件について深く思いをめぐらせていた。先日、塔守がいそいそと先に帰ってしまったことで、どうにも気になりすぎて眠れなかった。夜明けまぎわ、再び奴隷部屋を訪れた。いや、灯りさえついていなければ、本当はすごすご帰るはずだった。扉の隙間から灯りが漏れていた。そして叩こうとすると、

「寝込みを襲われるとは お前らしからぬ失態ではないか」

中から若い男の声がした。一瞬、聞き耳を立てようとしたが、城主が立ち聞きするのは恥ずべき行為だとすぐに思いとどまって、大きく咳払いをしてからノックした。

すぐに塔守はドアをあけた。

「どうしたんです?こんな時間に!」

しかしいつもより表情が硬いように彼の目には見えた。おかしいと思った。塔守の後ろに目線をやったが、他に誰もいない。不快をおし隠して落ち着きはらった口調で尋ねてみた。

「おかしいね。今、知らない男の声を耳にしたのだけど?扉の向こうで。いや、別に聞き耳をたてていたわけじゃない。叩こうとした寸前にだ」

「わしの独り言ですよ」と、口調はいつもの通りで答えた。

「若くて、だが威厳のある声だったけどね」

「なにをいっているんです?こんなに狭い部屋の、いったいどこにどう隠れることができるっていうんです?」

大公殿下は、目視するまでもない、当然明らかに誰もいないことはわかっていたが、どうしても納得できない。咎めるにしても、我ながらこんな小さなことで女々しいと情けなくなって黙り込んでしまった。二人の間にいつにない緊張感が漂った。そこで突然塔守が、たたみかけるように「そんなことより!」と言い出した。

「そんなことより早くここから出ていってください。お願いですから!」

大公殿下は相手がまさかそんなことを口にするとは思ってもみなかったので、咄嗟に返す言葉が出なかった。塔守は顔色を悪くして、

「べつにわけなんてありませんよ。今日は一人にさせてほしいだけ。さあ早く。そしてあんたは、どこにも寄り道せずに自分の部屋に戻るんです!いいですね!」

と、外まで強引に押し出してドアを閉じた。それも彼の鼻先の前だ。

べつに番人のとった行動に呆気にとられはしたが怨むほどのことでもない。しかし急に心の中が寒々しくなった。その上、耳について離れない声が、悩みの種だ。

(寝込みを襲われるとは、お前らしからぬ失態ではないか?)

復唱しても、わけがわからない。

「どういう意味だ?失態?なにを失態したという。襲われたとは彫像のことと関係があるのだろうか。いったい何者なんだ。いや、いなかったのだからやはり独り言。独り言にしても意味がわからぬ。これ以上彼もきっと尋ねる隙を与えないだろう。友情を壊したくない。いや、待て、そもそも我々に友情などというものがあったのか?わからなくなってきた。一人よがりの思いこみだったのか?塔守も、そうなのだろうか。他の者と同じようにいつか自分の前からいなくなるのだろうか?大げさかもしれないが、まるで一本だけ残った蝋燭の火が何者かによって吹き消されたような気分だ。期待をして見返りを。いいや、そんな風につきあっているわけでは。いや、」

と、彼は独り言を言った。

「きっとあちらはそうだったのだ。そうだ、だが肝心の自分のほうは、知らないうちにきっと相手に見返りを期待していたのだ。いまになって自分の本心に気がついた。微々たる欲さえ許されないのかと卑屈にもなりたくなるが。・・・私は昔、自由だったから。砦という国の中に、突然幽閉された錯覚がして、息が詰まる日々の中、田舎にいたころに好きだった大木の一本が自分のことを心配してくれて、ここへやってきてくれたのではないかと。そこでまた錯覚していたのだ。まったく現実を直視することができぬ愚か者め!だが、塔守が自分の前からいなくなってしまっても、例え疎まれてしまったのだとしても、これ以上、自分の心の有り様を見失うつもりはない。荒んではならぬ。孤独のまま死んだとしも誰のことも怨むまい。少しの間、すがる腕があっただけマシなのだ。あの頃、あの腕が与えられなかったら、今こうしていられるものか、わからない。感謝するべきであって、憎みも恨みもしてはならない。自分の中には抑えれないほどの激情が眠っているのを知っている。本当は自分自身が恐ろしい。普段眠っている凶暴な竜がいつ起き上がってしまうのかと思うと恐ろしい。それは純粋な血統の中にたまにでる精神薄弱、不虞者、狂人のせいだ。高い確率で弱体が生まれるが、同じ確率で素晴らしい統治者が生まれることもある!」


 大公殿下は、自分のことを、きっと大祖父の血が濃いのだと思いこんでいる。嫡子以外を殺させたという血塗られた過去を持つ。必要以上に理性を強めようとしたきっかけは先祖の愚行を知っていたからだ。昔から決心していた。自分はそうなるまい。

 血の束縛に負けてたまるものか。決してここより後ろには下がってはならない。無意識に作っていた強い鉄柵は尊い自負だ。誰にも犯しがたい聖なる結界は自分が自分を誰よりも強く信じることのできる気高さにより作られていた。

 それこそが砦の大公殿下の最大の強みなのではないかと私は思うのだ。どこまで持ちこたえられるのかわからぬが。戦いの神は、一人の人間が抗うには、あまりにも強すぎる破壊の根源だ。

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