「ひさしぶり、さいきんどう?」の魔力
こんにちは。
ここ一月以上うっすら考えていたことを書き出してみます。
これ私の課題なんですけれど、どうにかしたいなあと観測していたことがあります。
思っていたことは以下です。
・話を聞き過ぎてしまう
・一方的な対話は暴力
・とはいえ、自分も話したい時がある
・どうなっていくといいのかな?
二つ体験があります。
一つは久しぶりに友人と話をしたときのこと。
冒頭で挨拶がてら私はタイトル通り「久しぶり、最近どう?」と尋ねました。
そうしたら相手が捲し立てたんですね。
「聞いてよー、最近さーこう言うことがあって・・・(エンドレス)」
ちょうどしんどい出来事があったようなのですが、私の問いかけがきっかけになってしまった。
まさかここまでエンドレスになるとは思えず、うんざりしてしまったんですね。
もう一つは、自分が「久しぶり、最近どう?」と尋ねられたとき。
これ、聞かれるとスムーズに自分の課題に対して話をしてしまうなあと感じます。
私の場合はその抱えていた課題に関して自分でもいろいろ掘り下げていったんですが、
共感して欲しい部分は誰かに話したいところなんですよね。
だから聞かれたとき、話始めてしまった。
一瞬迷いました。これを話していいだろうか?と。
相手なら聞いてくれるだろうと思って話を少ししたんですよね。
ずっとこの課題に意識を向けていたからかもしれないけど、
自分の行動を俯瞰してみれて、「最近どう?」の問いかけは無自覚に自分の話したいことを解き放つキーになるんだなと感じました。
一つ目の聞き役になった時、私は正直うんざりしてしまいました。
久しぶりの対話の時間を了承しているのにもかかわらず、一方的な時間になっていることに腹も立ちました。
私は共有したいし、一緒に楽しみたいと思った時間を一方的に聞く時間になってしまったことに腹が立ったのです。
一方聞きながら、「相手も大変な状況だなあ」と感じる部分もあり、対応に迷いが生じたのも事実です。
聞いてあげたい自分もいれば、嫌だなあと感じる自分いろいろいるんですよね。
でもやっぱり思うのは、ちょっと吐き出したいことがあるならばそれにまず自覚的になること。
そして聞いてもらいたいならば、相手の了承を得ること。
「ちょっと聞いてもらいたい話があるんだけどいいかな?」って聞くことはマナーじゃないかなと思うのです。
会話ってお互いが楽しいと思える時間を作るもの。
だから一方的に誰かを愚痴のゴミ箱にしていいものではないのです。
相手との距離感が近づくとそれが疎かになる場面もあります。
そしてタイミングもありますね。
自分では自覚していないくらいフラストレーションが溜まっている場合もあるでしょう。
一旦自分の中で整理してから相手に話すと言うことは
ひいては自分を大切にすることでもあると思います。
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