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10月23日の日記「「醜い」フィルター」



今日Xで少し思ったことをつぶやいたのでそれについての考え方をちょろちょろ書いていこうと思うんだけど


まぁこれが投稿した内容なんだけど
例をあげれば中国という国。
あの国に対して日本の人はあまりいい印象を抱かない人も多いだろう。
だけどその悪い印象を抱いている人の多くは「中国」の人間はっていう大きなくくりで悪い物だと見てしまう。
そこに良い人、素晴らしい人がいるって事に目が向かないし気づかないのよね。
もちろん悪い印象を抱いている人の中にはそのことを理解した上で「ここではこうこうでこうだから…」って意見を持てている人もいる。
この話で一番問題になるのは「○○」は悪いって妄信的に信じて何で何が悪いのかって意見も持たず悪いと信じて疑わない人。
まずその人達はちゃんとその悪いと思っている物の現状や中身を見て意見をもってそれを「良い物」として見るのか「悪い物」として見るのかいったん立ち止まって考えなくてはいけない。
ただ悪い悪いと批判しているだけでは何も生まれない。
今回は中国という国を例を挙げて話してみたが、もちろんもう少し身近な範囲でもこういうことってあり得る。
例えばVtuberオタクであったり、そういった人たちを頭ごなしに非難するというのは恥ずかしく非難しているそのものよりもそれをしているお前が一番酷い人間だというのを理解しないといけない。
ここからはどの分野にでも言えるような話なんだけど
広い分野で物事をじっくり観察して意見を持てるようになる能力っていうのは個人的には一番大事な能力だと思う。
これらを合わせた人間性を育てていくことが今の社会を生きる人間達に求められる能力なのではないかと勝手に思っている。















さようなら。

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