4月20日の日記「報道の力による誤解」



一日前までさぶかったのに今日になって熱くなるとかどーいうわけ?
本当に頼むよ。
太陽もっと自重しろ。
いやいい感じに出てこい。

普段やらないネットニュースにだらだらコメントするやつやります。

この日記書くために適当にYahooニュース見たらちょっと気になる記事がでてきたのでちらっと見てみた。
テレビでのニュース番組というのはそれを視聴する多くの人が手軽に見ることができるコンテンツであり一つの情報源である。
形は変われど昔からずっと残り続ける物。
ここで一番怖いのが簡単に信頼してしまいがちな物ということ。
もし報道側が根拠のない情報をあたかも真実かのように報道してしまったら一部の人は不信感を抱くかもしれないが多くの人間が何も疑わずに信じてしまう。
つまり報道側は報道する事件の犯人像をいくらでも作り上げることができてしまう。
その人間は本当は無罪かもしれないのにニュース番組で容疑者の知人インタビュー等もので
「こいつは昔からそういう事をする奴だと思ってましたよ。」
みたいなコメントが報道されてしまうと世間の共通認識が
「昔からこいつはそういう事をするようなやつだったんだな」
という認識になってしまう。
[少年の日の思い出]の「そうか、そうか、つまりきみはそんなやつなんだな。」
世間がエーミール化してしまう。
こうなると容疑者に向けられるのは疑いの目しかない。
より無実の人が助かる可能性を狭めてしまうのだ。
報道側は責任をもって根拠のある情報を誤解のないように視聴者に届けないといけない。
もちろん視聴者の我々が目の前の情報を疑うことも大事。
ってわけ。




さようなら。

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