見出し画像

車いすママの日常 11(34歳のキラキラ星)

私は来月、43歳になります。
小さい頃から憧れていたピアノを習い始めて今年で9年。習い始めたのは34歳の時でした。

私は小さい頃からピアノに憧れがありました。
かっこいい。
すてき。
あんなふうに弾けるようになりたい。
ずっとそう思っていました。

私は小学校2年生の頃まではしっかりと歩けていました。
まだ歩けていた時に意を決して「ピアノを習いたい」と親に言ったところ、近くのエレクトーン教室に通わせてくれました。私が鍵盤に興味を持っていたため知人から不要になったというオルガンをもらってくれて、自宅の二階には古いオルガンが置いてありました。エレクトーン教室に通い始めてからは、とにかくとにかく楽しかった。毎日オルガンの前に座って、ひたすら宿題を弾いていました。

エレクトーン教室にはひとつしか部屋がなかったため、自分のレッスンが始まるまでは他の子が弾いているのをじっと静かに聴いて待つ、という形でした。私の前に必ずレッスンをしていた先輩の男の子がいて、その子が弾いていた曲がとにかくすごく好きで(今はもう曲名もわからないのだけど)、あるとき家で真似して弾いてみたら弾けたのです。それが嬉しくて先生に披露したら、ものすごく驚いてくださったのが忘れられません。

しかし持って生まれた骨の病気のために骨折を繰り返し始めてからは家から一歩も外に出られなくなり、そうこうしている間にエレクトーン教室が閉鎖されてしまいました。

どうしてもピアノを弾きたかった私は、骨折を繰り返して歩けなくなり養護学校(現在の特別支援学校)に転校してからも、音楽の先生にお願いして給食のあと昼休みの間だけ、少しずつピアノを教えてもらっていました。

あの時はショパンの「別れの曲」だけは弾けるようになりました。とにかく楽しかったなぁ。私はあの時施設にいて、色々な厳しいルールの中にいても、ピアノを弾いている時は自由でした。それが嬉しかったのかもしれないな。

就職したあとも、通えるピアノ教室を探しました。問い合わせをしても、車いすだと伝えると「車いすだとちょっと…床が汚れるので」とか「車いすの方は…汚れている手でピアノを弾かれても困るので…」などと言われて断られるばかり。ちなみに車いすは「リム」というタイヤについている持ち手を回してこいでいますので、タイヤを直接触っているわけではありません。でも「汚い手で」と言われてしまう悲しさ。タイヤにはカバーがありますので、完全に土足で、というわけではないのです。しかし説明をしても、そもそも受け入れてくれる感じはなかったので悲しかった。

私は常に、やりたいことは自分が納得できるまでやってみると決めています。中途半端に諦めたら、絶対に誰かのせいにしてしまう。だからとにかく、あちこちに問い合わせました。だけど全敗。そして私はついに、ピアノを習うことを諦めたのです。20代前半のことでした。

しかし。
前回の内容に書いた通り、息子が、予想もしなかったドラムを習い始めました。そしてそこにはピアノ科もあって。え?まさか私も習えるかも?かも??と内心「もしかして」の嬉しさに心臓はバックバクしていました。だけどやっぱり、私が習うことは迷惑かもしれない。車いすでスタジオに入るのは汚いかもしれない。私の手で弾くのはピアノに失礼かもしれない。と、これまでの経験から負の感情が連鎖していて、色々考えました。

でも、ある時ピアノをやりたいことをお話しすると、なんということもなく二つ返事でOKをもらえたのです。驚きました。え、私がやってもいいの?と一瞬疑ってしまうくらい驚きました。そして本当に嬉しかった。

そんなわけで、私は34歳にして念願のピアノを習い始めたのです。最初に習ったのは忘れもしない「キラキラ星」。楽しかった。嬉しかった。

それから今年でもう9年。
40歳で弾く!と豪語していた「Spain」も2年過ぎた42歳で無事弾くことができ、今は大好きな上々颱風の曲を耳コピーして弾くことが楽しくてたまらない毎日を送っています。自分の好きな曲を、自分で弾く日が来るなんて!そしてまさか、バンドの中に入れてもらって弾く日がくるなんて!発表会でバンドの中の一員としてキーボードを弾いている時、いつもこの上ない幸せを感じます。言葉にしなくても「もう終わるよ」とか「まだ続くよ」とかをアイコンタクトで伝えられること、その一員に入れていること、こんな世界があるなんて!いつかセッションで活躍できる人を目指して、日々頑張っています。

幼い頃からの夢が想像以上の形で叶って、本当に嬉しい毎日です。


続く。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?