今日の哲学②:暇は悪なのか
あけましておめでとうございます。ラモスたくやです。
2025年もどうぞご愛読のほど、よろしくお願いいたします。
私は、怒涛の論文投稿ラッシュを終え、実家で怠惰な生活を送っているところです。(怠惰といっても、風邪をひいてしまい、療養に励んでいるのですが、、、)
暇があると、なぜか心がざわざわします。暇があると、いろんなことを考えます。
暇になりたいと思っていたのに、いざ暇になると早く動きたくもなります。
「暇」ってなんなんでしょうね。
ひま【暇/▽閑】
1 継続する動作などの合間に生じるわずかの時間。「食事をする—もない」「—を見て外出する」
2 事をするための一定の時間。「—のかかる仕事」「手間—」
3 自由に使える時間。なすべきことの何もない時間。「—を持てあます」
4 休暇。休み。「一週間の—をいただく」
5 主従・夫婦などの関係を断つこと。縁を切ること。
【引用文献】
Goo辞書「暇/閑(ひま) とは? 意味・読み方・使い方」https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E6%9A%87_(%E3%81%B2%E3%81%BE)/(最終閲覧日:2025年1月5日)
「暇」の定義を調べてみると、個人的に驚いたのは、5の定義です。夫婦の関係を切るときにも使われるんですね(笑)「暇(いとま)を取る」みたいな使い方をするらしいです。
大抵は3と4の意味で使うことが多いんじゃないでしょうか。むしろ、3の意味のイメージが強いような気もします。
けっこう、皆さんは「暇」という言葉に悪いイメージもってるんじゃないでしょうか。
「休んでいたら成長できない」「暇があるとなぜか罪悪感がある」
こんなこと、考えちゃいませんか。僕はこんなことしょっちゅう考えちゃうんですよね。資本主義社会に毒されているなと思うわけです。綺麗ごとじゃ飯は食えませんが、成長こそが正義みたいな思想を全面的に受け入れるつもりはありません。
「暇」だからこそできることに目を向けてみたら、もう少し余裕のある生活を送ってもいいんじゃないかという気もしてきます。
暇だからこそできることとして、「内省」が挙げられます。
つまり、自分自身の考えや行動を振り返り、客観的に分析することです。
人間は忙しいと、自分が行っていることの正しさ(社会的な正しさもありますが、自身の価値観に照らし合わせたときに正しいのかということも含みます。)に疑問すら抱かなくなります。それでは、自分の人生の進路を修正することができなくなってしまいます。
また、「暇」に対してネガティブなイメージをもっていると、とりあえず時間を埋めることに尽力してしまい、ますます内省する時間が無くなります。そして、心の余裕がどんどんなくるんじゃないでしょうか。(人といる方が心が休まるという人もいますが)
前に進むことばかりに一生懸命になっていても、自分の目指す目的地と異なる方向に向かっていては本末転倒ではないでしょうか。
皆さんも「暇」を満喫しませんか。
それでは、皆さんの2025年がいい年になりますように。
「暇」ができてNOTEの執筆が進むことを願っています。
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