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最後の試合に向けて


なんで空手?
「空手なんかやるもんかっ!」ずっとそう思っていました。まだ歩き始めた頃の私は、“”空手大好きとんでも父さん”“にあっちこっちの空手の会場へ連れて行かれていたそう。痛そうだし、気合はうるさいし、何より父の周りはみんな大きな男性でなんだか怖い、絶対に空手なんかやらない、ピアノとかバレーとか、可愛らしく生きていくんだと思っていました。
でも、そんなある日、私の頭に隕石でも当たったのでしょうか?父に手紙で「空手をやりたいです。」と。正直、あまり覚えていません。何が起こったのか今になっても分かりません。それは2008年の5月の出来事でしたが、おそらく天気は雪でした。
きっと父は嬉しかったでしょうね。可愛い娘が大好きな空手をやると言ったのですから。それからは、近所の道場に通い空手の友達と毎週の稽古を楽しみ、父が道場を開設した時は、一緒に道場盛り上げ隊として稽古に励みました。なんだかとても悔しいですが、だんだんと、言葉にできない空手の魅力に惹かれていきました。


空手部の好きなところ
空手少女になってしまった私ですが、どんどん魅力に吸い込まれ、高校卒業まで空手を続けた後、大学でも続けたいと思うようになりました。ご縁があり、現在大学空手部に所属しています。入試の際には、たくさんの先輩方にサポートをしていただきました。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。元々空手部に入るつもりでしたが、先輩方にサポートしてもらう中で改めて、人に対して厚いところや優しい部分に魅力を感じ、入部したい気持ちを強く持つようになりました。いざ入部してみると、やっぱりみんな素敵。面白さがぶっ飛んでいる先輩、優しくて可愛いから非の打ち所がない先輩、とんでもなく忙しいのになぜかお休みを空手部に還元してくれる監督・コーチ。沢山のあたたかい人で溢れた空間でした。これが、空手部の一番好きなところです。他のどの大学にも絶対に負けていないです。ぶっちぎりの大優勝。にっぽんいち!せかいいち!!うちゅういち!!!


空手部の許せなかったところ
しかし、私自身が空手部に対してあたたかい人で居続けられなくなった瞬間があります。
私は様々なことに興味を持つタイプなので、あれもしたいこれもしたいで毎日大変です。そんな私にとって大学という幅の広すぎている環境は最高でした。大学には沢山の”面白そう!”が落ちています。全部全部、やってみたくなる。でも、部活を第一優先しなくてはならないから、入部した時にそうすると決めたから、そこに影響が及ばないように試行錯誤しながらスケジュールを組んでいました。スケジュール帳はいつもぱんぱん。それでも全てをやりきれなかったり、時には部活によって直前に予定が変更になったり。どうしても自分の“やりたい”を邪魔する空手部が許せませんでした。今でも、全然許せないです。心の調子が悪い時は、いつも”辞めたいなあ”の悪魔が頭の中をぐるぐるしていました。
学年が上がり、練習外での活動が多くなってくると、ますます許せないなと思う瞬間が増えました。今思えばただのわがままです。学年が上がればそうなると分かっていても“やりたい”を我慢することができないので、ぱんぱんに詰め込んで、体も心もぱんぱんになっていきました。時間が経つにつれ、自分の意思で動いていない“”部活のために用意された活動“”が、だんだんと“やりたくないな”に変わっていき、やらなくてはならないと分かっていても感情が追いついていないことに気持ち悪さを感じました。限られた時間の中で、どう調整するか。自分の一番大切な時間ばかり削っていたなと思います。自分に近い物事ほど、すぐに遠くには行かないから。そう思っていたから。でも案外そうではないです。大切にしたいものは、どれだけ時間をかけても良いと思う。意外とすぐに遠くに行っちゃうと思う。その大切さは知らないうちに保てなくなっていくと思う。きっと、時間の使い方を間違っていたんですね。私ほどココに関してとんがった人はいないと思いますが、もしそう思う後輩がいたら、自分の一番大切な時間を大事にしてくださいね。気持ち悪いという感情を見ないようにしすぎるとぺしょこりんになりますよ。ぺしょってからじゃ遅いと思う。
もどかしさを感じつつも「社会に出たら役に立つよ」の言葉をモチベーションに向き合いました。が!よく考えると私は今、大学生。大学生を楽しまないどうする?と思ってしまってからはギリギリ保っていたモチベーションすら機能しなくなりました。自分がいつもプラスの感情で満たされていたいから、そうでないと私は何もかもがウルトラブルー、もしくはスーパーブラックになってしまうから、そのためにはどうしたら良いのか、今後の歩き方を改めて考えるポイントとなっています。大切にしたいものを、もっと大切にしたい。そのためには、自分が苦手とする”やりたくないな”と感じてしまう“”やらなくてはならない活動“”と自分に用意された時間とのギャップがあってはならない。でも私はそのギャップを埋めることがとても苦手です。そう気づき始めてからは、空手部を何度も“辞めたい”と思いました。こうやって言葉にしてしまうと非常にマイナスな発言ですが、思うだけなら無料ですよね。


ずっとココに居続けた理由
辞めたいと思っていたはずなのに、なぜか今、大学最後の試合を迎えようとしています。理由は2つ。1つ目は、私にやめるまでの勇気がなかったから。所詮チキン人間です。辞めたいと口では言うけれど、全てを捨てるほど空手を、空手部を嫌いにはなれなかったみたいです。これまで空手をしてきた自分を否定したくなかったのかもしれませんね。まあ、どっちにしろただの文句たれですね。
2つ目は、「みんなが大好きだから」です。きっとこの理由が8割です。空手が嫌いになっても、空手部がしんどくなっても、みんなに会いたいから道場に行く。とても不純な理由に聞こえるかもしれないけど、いや聞こえるとかではないな、全然不純だ。でも道場に行く理由なんてなんでも良くないですか?これが私のモチベーション。みんなそれぞれモチベーションがあると思います。素直に競技に向き合える人は本当にすごいです。一途でまっすぐで。私もそうなりたかったし、目指そうとしました。でも私は100パーセントそうはなれなかったみたい。それでも、何かがモチベーションになって、結果、空手と向き合う時間ができているのだから良いと思います。120点ではなくても、100点です。私は、私なりに空手や空手部と向き合ったので、素晴らしいんです。今だからあえて言葉にするんですよ、最後だから。まだまだ空手部にいる後輩たちには、空手に対して一途でまっすぐで、そうなりたいと思える気持ちを持っていて欲しいです。絶対にそうであるべきだから。その気持ちを持てなくなったら私にご一報ください。ご飯に連れて行きます。解決はしませんが、きっと気分は楽になります。
これまで空手が嫌いだとか、空手部にしんどい瞬間があるとか、散々に言ってきましたが流石にその感情一本だけではないですよ。わたし、そんな腐り切ってはいないです。みんなと練習するのが楽しいから、みんなと一緒に勝つことが嬉しいから、空手が好きです。みんなと一緒に過ごす時間があるから空手部が大好きです。“”みんな“”の存在が空手と空手部に対してのプラスの感情を生んでくれます。私の中で、空手という活動、空手部という組織がだんだんと感情をプラスに動かしてくれる存在になって行きました。イコール好きってことです。最高に矛盾です。意味がわかりませんね。


最後の試合に向けて
大好きなみんなとの試合もラスト1戦。大好きだけじゃ物足りない!最後は勝って終わりたい。勝って、最高の瞬間を一緒に過ごして、とびきり笑って、熱いハグをして。まだまだ大好きを更新しなくちゃ。

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