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【短編小説】物語即売会【1】

※この話は,実在の団体・人物とは一切関係のないフィクションです。



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物語即売会は,自らが考える物語を紙媒体の作品にして販売するイベントです。営利・非営利やジャンルは問いません。参加条件は「作りたい物語がある」こと。

1975年に初めて開催されてからこれまで,たくさんの人たちを繋いできました。

あなたの中にある「物語」を,あなたの力で形にしてみませんか。
(「物語即売会」公式HPより)
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思ったよりも時間ギリギリになってしまった。

到着したらもう始まる10分前で,会場に入って自分のスペースについたころには,開催の拍手が周りから溢れ出してしまった。主催らしき男性の挨拶が聞こえるけど,耳を傾けている暇はない。拍手の余裕も。

長机の下に,印刷所から送られてきた新刊の段ボールがなくて焦る。イベント前に家に送られてきていた参加要項の紙をカバンから出してよく確認してみる。

出店者のスペースではなく違う場所に置いてあって,自分で段ボールをスペースまで運ばないといけないようだった。遠くを見まわすと確かに,それらしい場所があった。急いで向かうと,自分の名前が書いてある段ボールがあった。

大した数は刷っていないので,非力な自分でも十分運べる。それでもスペースに戻ってきたときにはふうふうと息が上がっていた。普段事務仕事で特に運動もしていないので,こういう時に後悔する。そしてこの後悔は,今日が終わる事には無くなっている。

テーブルクロスを忘れてきてしまったのでどうなることかと思ったけど,意外とそのまま置いている人も多く,自分が気になっているだけだったようだ。

開始してもまだ設営をしているスペースはここだけだった。

こんなことなら手伝いの売り子さんを,誰かにお願いすれば良かったと静かに後悔する。


まず作ってきた値札とお品書きを机に出そうとしたら,

「新刊ください」

と,声を掛けられた。

こんなに早く売れると思っていなかったので,慌てて下に置いてあった段ボールの中から新刊を取り出す。

サンプルを家に送るようにしていなかったので,まだ誤植がないかとか,全く確認できていない。

大丈夫かな,と不安が身体を襲うけど,そんなこと言っている暇もない。

一人来るともう流れができてしまったようで,ちらほらと人が集まり始める。

10年やってきて,こんなことは初めてだった。

本当は,ありがとうございます。あなたの事は,この御恩は一生忘れませんと叫びだしたくなっていた。

一生懸命作ったファンタジー小説。10万字になった物語。

書き出すと,自分のためにというよりはキャラクターたちのために最後まで書き上げないと,という気持ちにいつもなる。

だから,こうして購入してくれる人を目の前にすると,嬉しくてたまらなくなる。

「Twitterで,いつも拝見してます」

新刊を渡すとき,年配の男性にそう言われた。ありがとうございますと返すのが精いっぱいだった。

ただひたすら趣味としてやってきた同人誌作り。

別にたくさんの人に買ってほしいとか,認められたいとか,そんなんじゃない。素人のやっていることだという事は自分がいちばん理解してる。
それでもやっぱり,ありがたい。

自分のスペースに人がきている間にも,目の前の通路をあらゆる人間が横切っていく。

着物を着ているひと。パンクな恰好の人。ふつうの恰好のひと。こども。おとな。おとこ。おんな。

この会場に来なければ出会えなかった人たちと今自分が交錯していると思うとこころから不思議で,浮遊感が襲う。

それが心地よくて,気が付いたら,笑っている自分がいた。


おわり





おわり

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