夏の砂の上〜タナカーの本音が止まらないver.
この作品、初回に観終わったときは正直
「え😶?」
という感じでした。
いや、分かってはいたんです、決して派手じゃない作品だというのは。
じりじりと焼けるような夏の日々を淡々と描いた作品というのは知っていたし。
でも…想像以上に地味だなと💦
初回、みんなに混じってスタンディングオベーションしつつ、彼のお芝居を生で観たというのに感銘を受けるレベルまで達してない自分に、衝撃を受けました…。
今後、今の私の力量でこの作品を「味わう」ことはできるだろうか?
この先あと3回観ることになるのに、これはきつくないか…?と。
ただね、飽きなかったんです。
2時間見てても、全然飽きなかった。
まぁ最初は特に話の展開が読めなくて気になった…というのもありますけど、
それ以上になんだか登場人物たちから目が離せなくて。
別に共感できるとか好きだとかいうわけでもないし、
治のルックスも、正直あまり私の好みの感じじゃない…
という感じでしたが😅、それでも退屈しなかった。
だから、本質的に苦手な作品ではないんだろうな…と思って観ていました。
今回、世田谷パブリックシアターではマチネもソワレもG列で鑑賞。
これは意図的なものじゃなくて、1枚は一緒に観る友人にとってもらい、もう1枚は圭モバで当選したものが偶然G列だったというだけなのですが。
いずれにせよかなり前列なので、双眼鏡は要らないだろうなぁと思ってましたけど、もう恒例になってしまっているので、今回も持参していました。
そして実際は、この双眼鏡がすごく役に立ちました!
私が愛用している双眼鏡は、倍率自体は5倍と高くないんですが、視野が広くて明るいのが特徴。
人物の表情の細かな部分までしっかりキャッチすることができるんです。
マチネであまりになにも掴めなかったので、ソワレではなんとかカケラだけでも掴んでやろうと、双眼鏡を持ち出して人物たちの表情や細かな仕草を見逃さないようにしたんですよね。
で、双眼鏡をのぞいて心底驚いたのが、圭くんの色味の違いだったんですよ…。
通常、舞台を肉眼でみたときと双眼鏡で観たときの違いは大きさだけなんですけど、今回、彼を観たら色味が全然違って見えたんです。
私驚いてしまって、思わず何度も付け外しして確認しちゃいましたよ。
あれ?
髪の色とか目の色こんなに薄かった?
って。
双眼鏡を外して肉眼で見るとね、いつもの黒髪圭くんなんです。
でも双眼鏡越しに見ると、ホントに淡くて儚く見える。
これはすごいぞ?ってちょっと震えましたね…。
たぶん、肉眼でも捉えられてるはずなんですよ、その儚さって。
でもそれはあくまで無意識下でしか見えてない、きっと。
そしてそれは今回のお芝居に通じるものがあるんですよね。
双眼鏡で見ててようやくわかったんですが、皆さん本当にすごく繊細なお芝居をされてるんですね。
だから彼のみならず、俳優さんたちの小さな動きの一つ一つ、普通に観ていたら意識できないような動きが、自分の無意識下では全て感情に変換されて伝わってきてるんだろうなと。
ただ顔だけを見ているつもりでも、そこから治の色んな想いがうわっと伝わってきちゃう。
だから目が離せないのだな、と。
例えばね、治が妻の浮気相手じゃないかと疑う相手と就職について話すシーンがあるんです。
彼はその相手に妻との関係について問いただしたい。
でも、できない。
その葛藤を、まばたきしないことで表現してるんですよね…。
それを確かめるためにずっと見てたんですけど、ドライアイなので我慢できず自分がまばたきしちゃったんですが😅
たぶん、してないと思います。
もちろんそこだけじゃなく、まばたきだったら回数とか間隔とかもうすんごいんですよ。
めっちゃ細かくコントロールしてる。
確かに一般的にまばたきって感情表現をする際の大きなポイントにはなるんですけど、そこに当然、動きもセリフも入ってくる訳で、2時間こういうことをずっとやってるなんて、この人何者や…って。
改めて田中圭という俳優さんの「静かな凄み」みたいなのを感じましたよね…。
だから2度目に観たときは、心からスタンディングオベーションできたんです。
他の俳優さん達もすごいけど、ああ、やっぱ座長すごいな!と思って。
劇場を出るときもすごく満足感がありましたし、まだ観に行ける機会があるんだということをすごく嬉しく思いました。
でね、栗山さんが今彼にこの作品を持ってきた理由がなんとなくわかった気がしたんです。
ここからは完全に私の妄想であり思い込みなので、ホントに話半分で読んでいただければと思うのですが。
やはり、今後を見据えてですよね。
年齢的に、いつまでも若くて元気なキャラクターを演じられるわけじゃない。
そろそろ「おじさん」的なポジションを取らなくちゃいけないけど、
彼の場合ルックス的にも声的にもなかなか難しいんですよね、枯れた中年男的な感じって…
もともとが童顔だし、いい意味でですけど動作が軽い。
なのでなかなかそういう感じを出せないですよね。
今回の治役も、ようやくギリギリな感じはある。
ただ今、こういう役をやっておくことで将来への布石というか、
彼の演技スタイルの転換点にすることができると栗山さんは考えたんじゃないかと。
もちろん、この作品をやったからと言って、彼にこういう役がすぐ来るようになるとは思えないけど。
もうそろそろ年齢的に青年役は卒業しなくちゃいけない年になり、父親役や上司役、中年男の役をやることになるけれど、そこって決して潤沢にあるポジションとはいえないと思うんですよね…。
特にここまでパブリックイメージが「永遠の青年」みたいに広まっちゃうと
なかなかそういうオファーも来づらいだろうと思うし。
だからまずはこの小浦治という役を足掛かりにして、演劇界では大人の役がくるようにと
考えてくれたんじゃないかな、とか…。
「あの」チャイメリカで初タッグを組んだ演出家さんが、今回この役をやらせたいと思ってくれたことにすごい意味があるな、と。
チャイメリカのジョーって、いかにも青年な、ちょっと青臭い感じなんですよね。
もちろん後半はそれなりに年を取っていくんですけど、それでも基本、
周りに止められながら謎の被写体を追い求める青年的な存在で居続ける。
そのジョーとは全く違ったこの役をやらせたいと思った意図はどこにあるのかな~って。
今でもずっと考えてるんです。
今回の役は、商業演劇的にはあまり見栄えするとは思えないし、
「格好いい」「可愛い」彼を観たい人にとっては、いろんな意味で衝撃は大きいと思う。
でも、それを分かった上でオファーを出したということですよね。
まぁでも彼が演じるとどんなに枯れた中年男でも、全然枯れないですけどね〜😂
私は彼の繊細な演技スタイルがすごく好きですけど、この作品はまさにそれだなと思ってます。
もう大スクリーンでライブビューイングせんかね?という感じ。
だって600人規模の劇場でも、細かな表情や表現を観るのは結構大変ですもん。
表面だけなぞってもほぼ何も伝わってこない作品ですし…
この味わい深さは、近くで・拡大してみて、初めてしっかり噛みしめることができる。
しかしなぁ。
この作品の圭くん、ホントにずるい😆!
初手から見せてくるあの美しい筋肉とか、たばこのシーンとか、絶対にズルくないですか?
煙草をつける。
消す。
煙を吐き出す。
その一つ一つに意味を持たせる芝居をしてるんだけど、もう手慣れすぎてる感がすごくて。
思わず「ずるいなぁ」ってつぶやいてしまう。
でも分かってても観たくなるんですよねぇ、あの手慣れた感じを…😍
それにしても圭くん、今回はホントどっぷり長崎弁でしたねぇ。
ここまで全面的に方言を押し出した役はかなり珍しいんじゃないでしょうか?
でも彼の声にすごくマッチしてたし、なぜか不思議と少年っぽく聞こえましたよね?
中でもあのつぶやくような「他に何かあったかな…」というシーンでの口調がすごく好きで。
あのなんだかちょっと心もとない感じ、とても良いなと思います🥰
元気なキャラも危ないヤツもいいけど、こういう繊細な感じの役ももっともっと観ていたいなと改めて思います。
治に会えるのはあと2回。
次に見た時は、また新たな発見ができるといいなぁ。
作品そのものに対しても、田中圭という俳優さんに対しても。
いろんな意味で、とても楽しみです😊
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