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手話を学んで考えた〜人工内耳と手話とsilent

中途失聴の夫と人工内耳


私の夫は耳が聴こえない。

若い頃からもともと難聴だったのだが、数年前に右耳を、その3年後に左耳を完全失聴し、両耳が完全に聞こえなくなってしまった。

現在は人工内耳という「機械の耳」を付けて生活している。

この人工内耳、想像以上に良い仕事をしてくれていて、今ではもうこれなしの生活は想像できない。

けれどよく聴こえるようになるためには時間と訓練が必要だそうで、取り付けて2年近く経った今でもリハビリは続いている。
(ただしリハビリの成果は絶大で、最近では補聴器時代より良く聞き取れるようになってる部分があるらしい)

そしてこの「人工内耳」はあくまで機械なので、補聴器同様に電池がなくなると動かなくなるし、耳掛け部分や頭に取り付けるマグネット(みたいな機械)を外してしまうと全く機能しない。

夜、寝ている時はこれを外しているので、例えば万一夜中に大地震等があってその外部装置が行方不明になってしまったら、夫は途端に「全く何も聴こえない人」になってしまうのである。

その時、家族がそばにいればまだなんとかなるかもしれないけれど、ひとりきりで避難しなくてはいけない状況だったらどうしたらいいのか。

まぁ周りに頼んで筆談してもらうしかないけど、筆記用具が豊富にあるかどうかも分からない。
できれば、道具を必要としない方法も確保しておけないだろうか…。

心配性の私は考えた結果、手話の勉強を勧めてみようと思った。

災害時、手話ボランティアの人なら避難所に来てくれる可能性が高いかもしれない。
その時にカタコトだけでも手話が分かるようになっていれば、人工内耳がなくてもある程度のコミュニケーションがとれるのでは…
という思惑からだった。

ただ夫自身は失聴当初、手話習得にはかなり抵抗していた。
人工内耳にすると決めていたこともあるけど、やはり現状をなかなか受け入れられなかったのだろうな、と思う。

なのでまずは私から、少しずつ手話の勉強を始めてみることにした。

手話の勉強をして思った事


実際に手話の勉強をするようになって、わかったことが沢山ある。

例えば、手話にはちゃんと独自の文法があるということ。

何も知らなかった頃は、単に日本語に手話の単語を当てはめればいいのかな〜?と思っていたけどそれはとんでもない間違いで、実際には表情や語順、口の形等、いわゆる「日本語」とは違うルール(文法)がものすごくたくさんあった。

そして、ろう者の方たちが手話というものをどれだけ大切に考えているかということもわかってきた。
それ故に、手話をいい加減に扱われることに対しては、断固許せないという気持ちになるという事も。

でもそれは当然だ。
だって手話は、ろう者にとって大切な「言語」なんだもの。

私達だって、いい加減な(変な)日本語を使われるのは、わざとじゃなくてもやっぱりいい気持ちはしないもんね…。

ろう者が手話を自分の言語として操り、生き生きと生活しているのを見ると、大事なのは単に聴こえるかどうかということよりも、
自分の意志を伝える、
相手の気持ちを受け取る、
といったコミュニケーション手段をもってるかどうかということなんだろうな…としみじみ感じる。

ドラマSilentにおける違和感


だからなのか、今流行中のドラマsilentで主人公の紬(聴者)と相手役の想(中途失聴者)のカップルが手話のみで会話しているのを見ると、どうにも違和感がある。

聴こえない想に対して手話を使う紬は理解できるけど、聴こえる紬に対し想が一切声を発しないというのがかなり不自然に思われるのだ。
(もちろんドラマ制作者はその不自然さをわかった上で作っているようなのでこの先の展開に期待しているのだが)

想がもともとろう者であるならば、手話のみでの会話はなんら不思議ではないのだけれど、日本語という共通第一言語を持つこの二人が繊細なコミュニケーションを取るためには、やはり音声を使った日本語が必要なはず。

まぁ確かに日本語対応手話というのもあるのですけど、紬は手話初心者なんだから文法以前に単語そのものもまだあまり知らないだろうし、実際に「理解できないことがある」とも言ってる。
(でも同じ初心者の私からすると、紬は脅威の読み取り力を発揮してるんですけども…)

想が話さない事にどんなに深い理由があるのかはわからないけど、声で話せばすぐ理解できることを、わざわざ相手が理解できない言語(手話)でしか話しかけないってのは、やっぱり優しくないんじゃない?って思ってしまうのですよね…。

この違和感を例えて言えば、生粋の日本人カップルが英語(しかも片方の英語力はまだかなり低い)で会話してるのを観てるような感じ。
その状態で深い話ができるんだろうか…などと余計な心配をしてしまう。

まぁ、愛は言葉の壁を超えるのかもしれないし。
言葉がうまく通じなくても国際結婚してるカップルなんて星の数ほどいるだろうしなぁ。

そう思えば、そんなの気にすることではないのかもしれないけど。

手話の世界は深い

ちなみに今は、精神的に落ち着いてきた夫と共に夫婦で手話の勉強をしている。

でも私達が勉強してるのは基本、手話「単語」であって、手話そのものではないのはわかっている…つもり。

一応、NHKで日本手話の勉強もしてるけど、このレベルではとてもじゃないが
「手話ができます」
とは言っちゃあかんな、と思う。
(手話単語を少し知ってます、くらいなら許されるかもしれんが)

でも、今はまだそれでいいかな。

手話という共通の話題が出来て夫くんと話す事も増えたし、たぶんこういうことがなければ、夫婦でここまでこのドラマの話で盛り上がれなかっただろうと思うし。

私自身は、夫と、日本語ができるろう者の友人とコミュニケーションが取れれば、今はそれで十分満足なので。

もちろん、せっかくなので今後は、日本手話の勉強も少しずつしていきたいなとは思ってる。

ただ、日本手話はとにかく深い!

もうやればやるほど日本語との違いがはっきりしてきて、こりゃちょっとやそっとじゃ太刀打ちできないな〜って思うので、
「聞こえないなら手話を覚えて使えば良いじゃない😃」
というもんではない、ということだけは、皆さんにも知っておいていただけたらなぁ…と思う。

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