「舞台・芸人交換日記」を改めて想う~「もしも命が描けたら」以降の、タナカー的視点。
久々に、舞台版・芸人交換日記のDVDを、原作本片手に言葉のひとつひとつを追いかける形で観た。
そして、思う。
やはりこの作品は、凄い。
正直、私は芸人の世界の事は何一つ分からない。
これを読んだ芸人さん(今回キャストの若林さんも含め)たちはみんな号泣したそうだけど、私はその想いの10分の1も分かってあげられていないだろう。
にもかかわらず、観るたびに毎回、自然に涙がこぼれてきてしまうのは、やはり観ているうちにこのイエローハーツの2人の事をとても好きになってしまうからだろうな。
相手の事を思って、身を引く。
まるで恋愛ドラマの話のようだけど、この二人の間に流れている「想い」は、とてもリアルだ。
劇中で、二人がそれぞれの部屋でネクタイを結び舞台に立つ準備をするシーンがある。ここでは二人の「想い」が無言で、でも熱く語られる。
ちなみに、このシーンを取り入れたのは天才的だと思う。
たぶん、男性からしたら普通にスーツ着てるだけじゃん?と思われるかもしれないけど、男性が真剣にネクタイを結ぶ姿ってなんだか愁いを感じて、車でバックしてる姿と同じくらい、なんかちょっとキュンとしますよね?(私だけ?じゃない、はず)
悲壮なまでの覚悟をして舞台にたつ二人の表情と「若者のすべて」という選曲。これも本当にいい。この効果のおかげで、このシーンは忘れられないものとなる。
そして本作の根底にある
「自分のためではなく大切な誰かのために命を懸ける」
という想いは「もしも命が描けたら」の世界にもそのまま引き継がれているのだ。
この話は、言うなら二人が書いた交換日記をお互いに読みあう、というだけの作品。
もちろん、その中に描かれているのは複雑な人間模様でもあり、生々しい感情でもあるのだけど。
話の内容としては、決して動きが大きい作品ではない。
でも下手すれば飽きられてしまうほどの長台詞も、田中圭という俳優さんが、豊かな感情表現でそこに込められた思いを伝えてくれると、つい聞き入ってしまう。
彼は、自分の書いた日記を相方の田中が読むというシーン(自分がセリフを喋る)では、あらゆる身体表現を使って日記にこめた想いを表現している。
逆に、田中の日記を読むシーンでは「読む」というたった一つのシチュエーションにおける感情表現を、これでもか!という程バリエーション豊かな動作や表情によって表現している。
だから観客には、彼自身の内側に潜んでいる「甲本」が五感から伝わってきてしまう。まるで生身の人間と対峙しているかのように。
そして甲本という人物を一人の人間として、好きになってしまうのだと思う。
例えば、社長から厳しい現実を突きつけられ、思わず笑ってしまうというシーン。
あんなに切なく悲しい「笑い」があるだろうか。
裏に涙が見えてきそうな「笑い」が。
「甲本ほど芸人に向いてる人いない。繊細で凹みやすくて、面白いから」と言われるセリフがあるけれど、まさに田中圭という俳優さん自身がそうではないだろうか。
圧倒的な頭のキレ方、セリフ回しのうまさ、相手の言葉を受ける力。
まさに彼は、芸人さんの力を持った俳優さんといっていいのだろう。
そして、この作品、前半のテンポと後半のテンポがまるで違う。
後半の甲本は、勢い良かった前半とは打って変わって、弱々しく切ない存在になるのだ。
ずるいなぁ、と思う。
こんな風に演じることができるのは、やっぱり彼だけだ。
作りこんだものを演じられる役者さんはきっとたくさんいる。いかにも「舞台ですよ!」という芝居で。
でも彼はそうじゃない。
まるで映像作品に出ている時と同じように(本当はかなり違うアプローチをしてるんだと思うけど)「舞台上で自然に見える表現」を本能的に理解し、動いているように思える。
それはあくまで軽やかだ。きっとすごい努力に裏打ちされているはずなのに、そんなことみじんも感じさせずに。
やっぱり彼は、天性の役者さんなのだな。
舞台での彼は、ただただ格好いい。
顔かたちとかスタイルとかいう問題ではなく、とにかく立ち居振る舞いや動きの何もかもがキマっている。ホントに憎たらしいくらい。
きっと彼自身もそれは分かっているのだ。
だから、忙しい時こそ舞台に立ちたいのだと思う。
俳優・田中圭を見失わないために。
それにしても「甲本」はつくづく、田中圭という俳優さんのはまり役だと観るたびに感じる。
彼は自分と全くかけ離れた人物であっても(むしろそうであればあるほど)、まるで昔からずっとそう生きているかのように演じるのが本当にうまい俳優さんだけど、この甲本に関しても、まるで彼自身がこういう人物かのように思わせる芝居をしている。
この舞台を見せて
「田中圭って、実はもともと芸人だったんだよね」
と言ったら、おそらくほとんどの人が信じてしまうのではないだろうか。
そしてそれこそが、多くの芸人さんと接してきた、作家・鈴木おさむさんの見抜いた彼の素質の一つなのではないかと思う。
序盤の、強気で、口も素行も決して良くないけど、なんだか憎めない人物像。
中盤の、畳みかけるような相方との掛け合い。
そして終盤の、芸人として、一人の男性としての悲哀と決意。
彼が持つ俳優としての良い部分を、ぎゅっと濃縮させたようなこの甲本という役を、彼は本当に生き生きと演じて見せる。
まさに「役を生きる」という言葉そのままに。
そして台詞と動きを縦横無尽に操ることによって、彼自身の中に眠る役(の人物)の感情を終盤で爆発させる手法は「もしも命」でも完全に引き継がれている。
こんなにセリフを覚えさせられて可哀そう…という人がいると聞いたことがあるけれど、おそらく長いセリフは覚えるの自体は大変でも、感情表現をする上において、彼自身が助けられている部分がむしろ多いのではないだろうか。
ちなみにインタビューで田中圭くんが、舞台での甲本(の人物像)は正直、公演のたびごとにすごくムラがあったと言っていたけど、それはムラ…というか、彼特有の「揺れ」だと思う。
おそらく場合によっては(そして演出家によっては)決してホメられるものじゃないと思うけど、彼の魅力の一つは、その「揺れ」だ。
「もしも命」はそこからさらに10年のキャリアを積んだ後の舞台だから、さすがに65点という公演はなかっただろうと思うけど、でもたしかに公演ごとに「揺れ」があって、それがむしろ面白いし、100点じゃないからこそハッとするようなすごい表現に出会えたりしてしまうので、何度観ても、彼の舞台は心ときめくのだ。
それにしても今回ここに及んで初めて、最後の「天国漫才」の内容をちゃんと理解したのだけど(ここは唯一、原作と大きく違っているので、ちゃんと聞いていないと分からないのだが、毎回号泣してしまって聞き取れてなかった)
これ内容としては、「笑軍」に出た時の漫才をイメージしてるのかな…?
とても面白いし、とにかくテンポが良くて楽しい。
にもかかわらず、私は笑いながら、やっぱり泣いてしまう。
甲本と田中の二人がようやく約束を果たし、本当に「出会えた」ことに。
そして「イエローハーツで漫才をやりたい」という心の叫びを、ようやく実現できたことに。
心から喜び、そしてそれが「天国」という場所じゃなければ果たせなかったという事のあまりの切なさに私は涙してるんだ…ということに、やっと気づいた。
私がタナカーになった、原点といえる「芸人交換日記」
この先もずっと、私の中で色あせない作品として残り続け、折に触れて新しい「想い」を生み出してくれるんじゃないかな。
数年後、またおさむさんの舞台を観たら、感想が変わるのだろうか。自分でもちょっと、楽しみだったりする。
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