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生きる力に変わる思い

私は少し前まで
地震に怯える日々を送っていました。

子供の時に大きな地震を経験し、
家が巨人の手で揺さぶられているかのような
激しい揺れで
寝ていた布団の上に
物がどんどん落ちてくる恐怖。

そういう記憶がありつつも
特に気にしていなかったのに、
とある日、YouTubeで
3.11の地震の映像をなぜか見てしまい
恐怖が蘇りました。

Twitterでも、
地震関連のツイートばかり見ていたり
もうすぐ地震が起こる体感がある、
というのを目にすれば
やばい、やばい、、と
避難グッズを持ち歩き
備蓄を一生懸命していました。

でもそんな日々を続けていると
じわじわとしんどくなってくるのです。
やってもやってもキリがない備蓄
少しの情報で大きくなる不安。
それをメインにしている生活って
死ぬことを防ぐためだけに
生きているような感覚でした。。

そして、そのうち
備蓄をいくらやった所で
もし1年程壊滅的な状態が続いたら
どっちみち物は足りなくて
結局生きていけないだろうと思いはじめました。
そう思えると、
備蓄に対してはある程度の
あきらめがつき始め、
1週間分くらいあればいいになり、
そのうち3日分くらい、
今では備蓄しておこうと
あえて意識することも少なくなりました。

ただ、
普通に無くなると不便な
トイレットペーパーは等は
常に余分に置いていますよ👍

情報に関しても、
地震が起こりそう、というのを目にしたら
まわりにも伝えたりしていたのですが、
実際には起こらず。。
まわりからすれば
自分はオオカミ少年のようになってる?
だんだん、あれ?という気持ちになり、
あまり情報もあてにならないなと、
気にすることは、無くなっていきました。

あとは、
地震で死ぬことの恐怖ですが
それについては、


「人間はどうせいつか死ぬ」


この考えで一気になくなりました。

極端かもしれませんが、
地震で死ななくても
最終的にはどうしたって死ぬのです。
精神世界的な話でいうと、
今の、この体での人生という意味では。

交通事故かもしれないし、
病気かもしれない、
寿命かもしれない。

いつどこで死ぬかもしれないのに
それをずっと怖がるなんて
終わりがない。

そして、
死ぬことは確定しているなら
いつ死ぬかわからないその時まで、
どうやって楽しんで生きていこうかを
どれだけ色々な経験をするかを、
そちらを意識する方が
楽で、幸せで、大切だなと
思い始めました。

そう、

どうせいつかは死ぬ

これは悲しいような言葉ですが、
逆に生きるための力になる言葉でもある
私にはそう思えます。

大病をしたとか、
人生のどん底に落ちた
というわけではないので
大袈裟と思われるかもしれませんが、

1つの思いによって
180度気持ちは変わるのだな、と感じます。

明日死んでも後悔はないかなとか
死を意識することで、
生を、より充実させようと思うことができます。

自分でなく、相手に対しても
明日もしお別れになっても
今これを言わずにいて
後悔しないかなと、
できることはしようと
思いや行動が変わったり。

そんな風に思えるようになり
また、重い不安を
軽くすることができたのです💫
私にとっては、の、お話です。

お読みいただきありがとうございます。

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