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こうするものだ、で、時には不満が生まれる

家族の家に行って
喉がかわいていたら
何か飲み物が欲しいけどもらえないかな?
と私はたぶんだけど、自分から言う。
もしなんらかで、自分から言いにくくて
相手から何か飲む?と聞かれなくても
何も思わない。
自分から言ってないのだから
飲み物が出てこないのはおかしいことではないから。

でも、私の母はそうではなかったみたいで、
だいぶ前だけど、
あまり飲み物いるか聞かないね的なことを
チクっと不満を言われた。
私は、飲み物が欲しいなら欲しいって
これからは言って、と母に言いましたが、
母はずっとそう思ってたのかな、と思うと
怖いというか
腹が立つというか
モヤモヤして何日か、
母とは楽しく喋る気になりませんでした。
(今は大丈夫です☆)

そのことを友達に言ってみた所、
友達は私の母の気持ちがわかると言うのです。
友達も、家族の家を訪れた時に
飲み物が出てこず、
自分で言わなかったけれど、
飲み物くらい出すものでは?と
思ったらしいのです。

友達はとっても穏やかなお母さん、
おもしろいお父さんに育てられ、
性格もまっすぐで自分を大事にし
人を気遣える素敵な子です。

そんな素敵な子でも、

こういう時は、こうするものだろう。

そういう自分の中の当たり前的な考えがあると
そうならなかった時、
不満を感じることがあるんだなぁと思いました。

相手を気遣うというか、
喉乾いてるかな?何か飲むかな?と
考えて聞いたり、飲み物を出したりって
とっても素晴らしいと思います。
してもらえたら嬉しいし。

でも、それが
しなきゃいけない
そうするものだと
したいからそうするというより
ルールのようになった時、
相手がそうしなかったら
ルールを守っていない
相手が悪いんだと、嫌な気分になる。

その考え、ルールが自分の中になければ
相手がそうしなかったとしても
何も思わない。
不満も嫌な気持ちも生まれない。
自分がどうしたいかを言えばいいだけ。

こういう時はこうするものだ
これが気遣いだ
とか、
みんながそのはず
ルールだ

そのおかげで円滑に
行くものがあるかもしれないけど
不満を生むこともある。

私の中にもそういうものがあるけれど
やっぱりそれは、
自分ならこうするのが好きというだけで
心の中であっても、
相手にもそのルールを押し付けてしまうのは
自分が幸せな気分にはならないんだなと
感じさせられました。

自分が嫌な気持ちになる経験をし、
友達の気持ちを聞いて照らし合わせることができ、
こういうことか、と
自分の中で腑に落ちていく

とはいえ、
まだまだ私も気付けば、
同じようなことをしてしまっていると思います。

でも、ささいなことでも1つ1つ経験し、感じ
少しづつでも、
自分をもっと高めていきたいと思っています。

経験は大事ですね。

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