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思いどうりになる、ならない、も

旦那は釣りが好きで
今は海釣りしかしないのですが
昔はバス釣りをしていました。

なぜバス釣りをやらなくなったか聞いたら
ここへ投げ、こういう風に動かすと釣れる
というのが分かってしまって
投げたら絶対釣れる、という状況が
面白くなくなったから
と言っていました。

絶対釣れる、は
話を盛っているだろと、私は思っていますが。笑
でも、なんとなくわかる気はしました。

大げさに考えると
なんでも叶う世界って、飽きるんじゃないかなとか
面白くないんじゃないかなっていう風に思うのですが
それに似てるのかなと。

釣れない、を知ってるから
釣れる、の嬉しさがわかる。

釣れない時、があるから
釣れた時、が楽しい。

釣れるかどうかわからないから
釣れるかな、どうかな、と
待ってる間、わくわくドキドキしたりする。

すぐに叶うというのも
もちろん嬉しいことではあります
今これが食べたい!と思ったものが
その時すぐに食べれたら
最高に美味しいだろうし。

なんでも思った通りにならないことは
あーあ、という状態から
やったー!という状態までの
様々な気持ちを感じれることで
あーあ、のレベルがすごい程
やったー!、のレベルもすごくなる。

すぐに叶うということは
最高っ!とか快適、ていう気持ちだけを
味わうこと
でも、そればかりずっと続くと
当たり前になり
最高っ!は、まぁ、こんなものね
くらいに変わっていくかもしれない。
(そんな状況が続いたことはないのでただの予想です
意外と、ずっと最高っ!て思ってたりして。笑)

旦那は、今は完全に海釣りに変わり
なんならそれを仕事にしたいと思う程に
のめりこんでいる。

魚のアタリを感じる為の手感度を上げるため
右利きなのに、左手を利き手のごとく
使う訓練を生活にとりいれ
箸を使ったり字を書いたりするという
マニアックさまで発揮している。。

もしかすると、そんな海釣りもまた
投げれば絶対釣れる、が続けば
いつか、面白くなくなるのかもしれない。

でも、バス釣りがそれで飽きて
新たな海釣りという世界に移ることができ
さらに釣りを追究することができているなら

当たり前になる、飽きることは
新たな世界へ移ることの合図かもしれないので
終わりではあるけど
始まりでもある気がする。

ということで

なんでも思ったとうりにいかないことは
なんだか大変そうだけれど
色々な感情を味わえたり
その世界、その状況を楽しみ続けれることでもある。

一方で
なんでも思いどうりになることは
最高であり快適でもあるけれど
それが続けばいつかは、当たり前になり
まぁ、こんなものだな程に変わり
それを楽しみ続けれないことになるかもしれない
ただそれは、次の世界へのスタートにもなる。

結局は、
どちらも程よく訪れたら最高なんじゃないかな
と、調子良く思ったりします。笑

お読みいただきありがとうございます🌟

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