見出し画像

自粛警官をしてしまうことについて思うこと

社会においてルールを守り、お互い心地よく暮らすためへの配慮はとても大切と思います。
 
コロナの件で自粛警察が話題となっていますが、
これはコロナに始まったことではなく、
昔から、
各会社でも必ず今までこういった問題があったと思っています。

「ルールを守る」ことと、
「みんながそうしてるからあなたもそうしなさい」
は全く別物と思います。


ルールを守ることは相手に対する配慮、優しさから起きる行動
「みんながそうしているからあなたもそうしなさい」は怒りから起きる行動。

そう感じています。

本来の「マナー」は、相手を思いやることであり、
その原動力は優しさ。
日本で礼儀正しく、マナーがいいとされているのは
優しさからでしょうか?
人の目が気になるからという傾向が多い気がしてなりません。
これは優しさではなく、同調圧力。


なんでパチンコ屋は自粛しないの!
なんでマスクしないで外歩くのよ!
自分が我慢しているのに、あの人は!
出掛けたいのを我慢しているのに、隣の家は家族で朝から出掛けた!
上司に言われてイヤイヤ仕事受けてるのに、あの子は断る!
好き勝手やってその分みんなに迷惑かけて!
私が仕事して、家事やってるのにあの人はTVばかり見て!


根本の心の動機は同じように思います。

そして、このような感情に苛まされ、
イライラしてしまう自分にまた自己嫌悪を起こして
自分が嫌いになって・・・
(これ無意識がほとんどです)


それを認めたくないから、
さらに「あの人はー!」と
相手に対し怒りをぶつけます。


多分、本当は自分もやりたくなくて、
我慢してる事があるんでしょうね。
「本当はこうしたいのに、こうしたら何を言われるか?」
「本当はこうしたいのに、こうしたらどんな事が待っているか?」


相手に振り上げたコブシって、
ただ落とし所がないから相手にぶつけてるのです。


どうしても怖くて不安で心配で・・・
自分の殻を破れない自分に対する怒りの矛先が
相手に行ってるのではないでしょうか?


本当に心から
自分の感情さんを大切に扱って、自分を大切にして欲しい。
と感じます。
 
多分、他人から見たらわからなくても、
本人がそんな自分にうんざりしているんじゃないかな。


もしくは、「自分は正しい!」の
正義にすり替えて
気づいていないかもしれません。


どちらにしても、穏やかで優しい日々は
送ることが難しいかもしれません。


自分を癒やしてし欲しいです。

私もどうにもならない自分の感情・怒り・もやもやって
結局それを乗り越える事がイヤで
何かにすり替えていた時がありました。


一番は、自分を大切にしてなかったこと。
そして、こんなに頑張っている自分をみんな認めてよ!

心が枯渇している状態なだけでした。

これ、ホントしんどい。


自粛警察さんや、「ちょっと聞いて!あの人さー!」って
プンプンしている人を見ると、
まずは、心の中にある自己爆発感情。
自分の殻を破れない強烈な叫びに聞こえてなりません。


いい子でいなくても、
誰もあなたのことを嫌わないので。


自分が満足していれば、
他人がどうであろうと気になりませんよ。


自己受容大事かもです。
自己受容とは、
自分の正当化ではなく、
こんな自分も自分の一部と
受け入れ認めることのようです。

書くのは簡単だけど、
私自身がよく悶絶しています。

でもその先には、
本当に穏やかで優しい気持ちで
過ごせる日々が待ってました。
 
みんな優しくなりたい。
みんな穏やかに過ごしたい。

それだけなんですよね。