優しさは一緒に歩いているよと教える様に。(歩幅を合わせていく様に;;)
優しい人は、優しいのではなく
優しさを主体に生きようとしている人なのかなぁと思った。
コップをテーブルの縁に置いていると誤って落としちゃう事があるよと、教えても、癖で置いて落としてしまった時に何度も注意されていたのにと、思っている君に、こうなっちゃうから縁に置くのはよく無いよね~、俺も縁においてて、落としちゃったことあるんだよね~しかもその時下にゲーム機置いてあってさって、次はお互いに気をつけれるねって確認する事だと思う。
優しさには、利益的なやさしさと非利益的な優しさがあるなぁぽい事を言ってる人がいて、自分は優しさの根底は利益的な優しさだと結構思っててリスク管理だと思ってる。好かれたいから優しくするとか、嫌われたく無いから優しくするとか、好きだから優しくするとか。
自分が欲しい欲得る事は利益的な優しさなのかなぁって思うね
非利益的な優しさとは何かって思ってもよく分からなくて、こんな感じだなぁって伝わればいいんだけど))
春に、寒いって言ってる人がいて、上着を着ている自分は熱くも寒くも無い、上着を渡しても自分は寒く無い時に、上着を寒がってる人に渡したり、別にその人から好かれようとか全く思ってなくても、渡せたり、まぁ、俺は気遣ってないよなにもー使って使って〜っって感じかなぁ、、?
まぁ、でもそれって普通に優しさだよな的な?
その、まぁそれってのまぁの部分、
それはきっと学ぶ事で、
優しさを主体に生きるって言う事は基本的には自分が成長していて、それを理解しているから、優しさを主体においてるのかな?
ずっと何かを得れるなら、優しくあろう、暖かさを大切にしよう、このサブカルで溢れかえってしまった社会に、優しさがサブカルチャーになってしまわぬ様に。
この、サブカルで溢れかえって、何が
サブ文化で何が主体の文化なのか分からなくなってしまった今の社会で優しくあろうって、優しさをサブカルチャーにしてしまわない様に。
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