心理的虐待 / お買い物

私には昔から甘える、ねだる、という行動が無かった。

両親から『してやったのに!』というスタンスで過剰な反応を強いられてきた私にとって、甘えることは諸刃の剣だった。

今も変わらない。
誰かが何かをしてくれると嬉しいよりも先に躊躇や不安が頭を覆ってしまう。

甘えない、ねだらない私は父の目に可愛げがなかったのだろう。
その不満は母に投げつけられる。
「お前の育て方の悪かけんこげん可愛げのなか子に育った!」

母は困っていた。
子供らしくない私の異変に困っていたのではない。
自分が責められることに困っていた。

「『私』、おかあちゃまがデパートでお洋服買ってあげるわ。」

服にさほど興味は無かった。
それでも必要なものだと割り切り買いに行く。
母が選び試着させられ店員の推薦なんかもありながら購入する。

興味がないとはいえ新しいお洋服はやはり嬉しかった。

帰り道で母が言う。
「それ、やっぱり買ってあげない。」

「え?」

「考えたんだけど。それ、おとうちゃまに買ってもらいなさい!」

「え・・・おかあちゃまが買ってくれるって言ったから行ったのに。」

「それがいいわ。あんたが可愛く『お願い』って言えばあの人の機嫌も良くなるし。そうよ。決めた。いいわね!帰ったらお願いするのよ!」

「嫌!じゃあ要らない!嘘つき!」

「あっそ、好きにすれば?知らないからね。私は買ってあげないから。あんたがおとうちゃまにお願いしなきゃ、一切知らないわよ!それでもいいなら好きにしなさい!わかったわね!」

今考えれば支払いも済んでいる服についてどうもこうもないのだけれど、子供の私には母の決定が世の中の決定だった。

したくもないおねだりを家に帰ってしなければいけない。
下手するとスイッチが入り辛い思いをすることになるかもしれない。

絶対に、、、絶対に失敗の許されない演技の強要。

逃げ場もなく観念する。
深呼吸し、心を奮い立たせ、引きつる表情を取り繕い、重い足で父のところへ行く。

「おとうちゃま、これ・・・おかあちゃまとお買い物に行って買ってきたと。だからお願い、、します、、、これ、買って、、、ください。」

父は相好を崩して言う。
「なんかお前は。もう買ってきたとか。勝手に決めてから、仕方なかね。よか、買ってやるたい!」

気恥ずかしそうでもあり心底嬉しそうでもあった。
父のそんな顔を見ると、私はどうしていいか分からずそれ以上黙っていた。

こうしてお買い物は無事に決着する。

私が結果を伝えに行くと母は得意満面だ。

「ほら見なさい。あんなに嬉しそうにしてるじゃない。あんたがかわいく甘えてりゃそれで済むのよ。私のおかげで全てが上手くいったわ。私の言う通りしてれば間違いないんだから!私に感謝しなさいよ!」

上手くいく。いつものように『母の面目』が。
そのために子供がどんな心境に落とされているか、どれほど混乱させられているか、そんなこと母には1ミリも関係ない。

母には困ったとき『自分がなんとか努力して解決する』という思考が無い。
母には困ったとき『誰かがなんとかするべきだ』という思考しかない。

この場合、その『誰か』は私だ。


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