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「梅雨明け」のきらめき

「梅雨明けの瞬間」が好きだった。

7月のある日、小笠原気団が梅雨前線をぐいぐい押し上げはじめる。本州を覆っていた湿った空気が北上し、からりとした空気が南から入ってくる。まるで天の底がぐんぐんと上がっていくように感じられる。
「夏がはじまる」
ドキドキするあの瞬間はたまらない。

これまでにいちばん印象的だったのは、雨の扇沢から黒部ダムを経て、立山ロープウェイで大観峰へと登っていたときだった。ロープウェイの高度が上がる速度以上に、空が上がっていくのを感じた。胸がどきどきした。室堂でラジオは梅雨明けを告げ、私たちは晴れ渡った雄山の山頂を踏んだ。テントの中で気象通報を聞いて描いた天気図は「クジラの尾」の形になった。

これまで、この話に共感してくれた人はひとりもいない。だから、あの梅雨明けの瞬間を感じる人は多くはないのだろうと思う。ひょっとすると私ひとりの思い込みかもしれない。でも、毎年のように「それ」を感じた後、必ず一日以内に気象台が梅雨明けを宣言していた。

しかし、あの「梅雨明けの瞬間」は失われてしまった。もう長い間、夏のはじめにあの高揚感を感じていない。私のセンサーが鈍ったからなのではないか、とも疑ってきた。もしくは、たまたま私が強く感じた何年かだけ、偶然にもドラマチックな梅雨明けが続いただけ、という可能性もある。でも、私は気候変動のせいで、「梅雨明け」が失われたのだろうと勝手に思っている。

「猛暑」という言葉が使われていた頃、猛暑の夏はやや珍しい現象で、猛暑ではない夏の方が多かった。しかし最近は、猛暑でない夏などなくなってしまった。だから今は「猛暑日」という言葉は使われるものの、猛暑は夏を指して使う言葉ではなくなってしまった。そんなふうに、猛暑があたりまえになるにつれて、梅雨明けの高揚感が感じられる頻度も減っていった。だから、気候変動のせいで「梅雨明けの瞬間」がなくなったのだと思っている。それを証明することは、たぶん、もうできない。

この季節になると、あの高揚感をふと思い出す。
私だけが知っていた、私が独り占めしていた、宝物の輝きのような瞬間を。


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