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似て非なるもの(2)

きのうに引き続ききょうは、海老と豚ヒレの天ぷら🦐と海老殻と庭の山菜かき揚げ…ついでに、スイッチを切ってから、正月の鏡餅を干したあられを揚げた。まずまず、油が劣化してきたのを確認する😎ひひっ…テストはまだ数日後、劣化からの回復を見るのだから。
さて、似て非なる、の続きだが、ミネハハさん(以下、ミネさん)と番組をやっていて、まぁ、つき合いも長いから、細かい打ち合わせなどなしに、いきなりトークしてもそれなりに話題は成立する。後で聴き返してみると、わりとまともじゃないの、と意外にも感心する。芸歴50年のミネさんとミネハハファン25年のわたしと、キャリアはちがうし年の差もあるが、ずっとつき合っていられた事実からして、基本的には=が多いのだろう。まぁ、年上の彼女から大目に見てもらっていることも当然あるだろうが…いちいち、答え合わせをするわけでも、しょっちゅう一緒にいるわけでもない、漫才コンビのようにツーカーとまではいかなくてもとりあえずはずっと機能している。コロナ禍を挟んで久しぶりに再会した折にも、お互いちっとも変わらないねぇ、というセリフが出た。もちろん、外見やノリや、そういう目に見えてることを指しているのではない。長年連れ添った夫婦が、性格の不一致といって離婚するのとはちがって、ずーっと傍にいないことがちょうどいい塩梅という側面もあるのだろう。
そう、それで似て非なるだが、番組の最中で、言葉にするとスピリチュアルな表現に聴こえそうなセリフが散見されるが、わたしたちはリアリストなのでスピではない。断じてない…「現象界だって価値は変わらない、第一、からだを伴っているのだから」といっている。ひとは、あくまで、他人の言葉を自分の感覚で聴き、十人十色はいいとして、スピなひとはスピなセリフと思うらしい。公言しているので、厄介なことに巻き込まれはしないが、ハッキリしておきたい。彼女の実力とわたしのそれとは開きが大きいが、とりあえず、止めないで続けてきた、小さいが責任をとってきた実績はある。ふわふわ、てれてれしているようでいてそうしてない。前で述べた、いきあたりばったりその日暮らしと自然の流れに任せるののちがいのようなものだ。じぇんじぇんちがう。念のため断っておくが、人生いろいろなのだから、他人に文句をいうつもりはない。でも、一緒じゃないんだよね。そのひとつは、言葉に責任をとれるか、またはとる覚悟があるか、な気がする。えぇ、何でわたしがそんなことまでしなきゃいけないんですかぁ、も含めて、とってきた責任の蓄積がスキルだったりもするのだから。
今は、論文でさえコピペで書くことができる世の中で、パッと見はちがいがわからない。しかし、突っ込んだ説明を求めたらそのうち化けの皮ははがれるだろう。罪にはならなくてもあまり意味をなさない。実体験で落とし込んでいないなら単なるマネでしかないのはいうまでもない。
50年歌い続けたひとを改めて傍で見てみると、その存在感に畏れいる。真似てもマネはできない。ありがたいご縁だと思う。




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