いずれ菖蒲かカキツバタ
燕子花(カキツバタ)が読めるひとも少なくなって久しいだろうね、わたしもそうだけど。燕と書くから今の時期にちょうど咲くんだろう、そもそも漢字は象形文字なんだしね。移動の隙間をぬって、国宝燕子花図屏風を観るチャンスがきて(^O^)よかった。庭園のせせらぎに降りてゆくと、おや?あれはホンモノ?向こうに白鷺みたいのがいる…じっと見るとこうべを垂れたので、わっ、生きてる。すると、後方の夫人たちが亀が動いたと騒いで、2匹とも実物と分かった。こんな都会のド真ん中で、生きものに遭うとびっくりする。驚くのだからふつうじゃない、といっているわけで、都会の生活は自然じゃないということになる。そもそも、わたしには菖蒲と燕子花のちがいもわからないくらいだから、趣味人でも文化人でもないが、地方都市に暮らしているので、海に続く近所の川で白鷺を見かけることはあるし、その海は昔は天然記念物カブトガニが当たり前にいたがすでに過去形になってしまった。
さて、その燕子花図屏風、教科書にも載っている尾形光琳の代表作のひとつだが、素人が観てもかなりの存在感に圧倒される=名作と納得する。わたしのイメージにある自然の燕子花はもう少し赤みのある紫色に思えるが、当時の花がそうなのか顔料の加減なのか、こちらの二曲一双の屏風の中に咲く燕子花はもう少し深い藍紺に見える。そう、この二曲一双のスタイルを確立したのも光琳で、その100年前と後、俵屋宗達〜尾形光琳〜(わたしのいちばん好きな)酒井抱一のふしぎなつながりが日本のデザインの根幹というべきもの、と悦にいる。難しいことはそっちにおいといて、ゆっくり堪能すればいい。
今では、美術館になっているような、もとは私邸や別荘の庭園というのは各地にあって、昔は、芸術、文化は富豪が贅を尽くすものだったのだ、と思い知らされる。第一、こんなに広い人口の庭園を維持管理するだけで、いくらかかるか気が知れないとめまいがしてしまう。時々、だんだん高くなってしまう入場料を恨めしく思いながらもおとなしく払って、見たい時にだけ、チラッと訪れて、生きた白鷺にびっくりする方が気が楽だよね。
その琳派の系譜は、ほんとうにピッタリ100年ごとに、みごとに継承されていて、10年ひと昔×10=1世紀という単位が、これまたひとつのくくりというか時代の雰囲気をつくるのだろうか。100年通して生きているひとは少ないし、その間に元号は何度か代わるだろうから、意識の背景となるものも徐々に、時には急激に変わったりもするだろう。つまり、そんなこんなの変化に晒されながらもずーっと根底に在るもの、それが100年おきに原点回帰の如くクローズアップされる循環エネルギーみたいなものが、生きもののエネルギーを生み出す法則性みたいなものかも知れない。
100年後、わたしはもういないが、屏風絵も庭園もよいものはちゃんと残って、子々孫々まで受け継がれて欲しい。