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一瞬にして変わる意識

きのうのこと…夜中に目が覚めて寝床で仕事をしてしまったので、早朝から鈍行列車に乗って、たまたま、2、3日前に「へぇ、そんな温泉があるのか」とチェック☑️したばかりの、最寄駅からおぼろげにしかアクセスが知れないところへ向かった。駅から780mなら徒歩でも何ら問題ないと思ったが、実は、3/4は緩急のある登り坂で、マップを見ても何処から曲がるのかさへよくわからない。途中、奇跡的に、バス停にいた女性に尋ねてようやくたどり着いた先は、ほぼ山のてっぺんじゃんか!モール泉の銭湯は蛇口、露天、冷水すべて源泉掛け流しで500円…すばらしい、多少苦労したがその甲斐があったと(^O^)v
しかし、その引き続きの午後、ある県庁所在ターミナル駅から徒歩2分の、前から行ってみたかった銭湯♨️で開店同時に入浴…すると、さっきまで、また行こう、いいとこ見つけたなぁ、きょうは急に来て正解👍と絶賛した件の施設など消し飛んでしまう。圧倒的な地熱のエネルギー、コーラ色の熱々の温泉は、夕刻になるほどにさらに熱々になり初心者には無理かも(by番台の女店主)という。430円、こんな銭湯の近くに住んでいるひとはうらやましいなぁ、と脱帽する。これまた、わたしが愛してやまない屋久島、尾之間温泉とも通ずる。もとは、ぬる湯しかダメと思い込んでいたわたしが、熱湯に耐えられるようになったのはこの温泉のおかげなのだ。ありがたい。巡り合わせには何ひとつ無駄はないのだ(大げさ)
かように、意識は一瞬にして転換する。長年思い込んでいたような恒常性と思われたことでさえ然りで、ほら、失恋してけっこう長いこと引きずっていたひとが、次に会った時、まるで別人のように嬉々としていたりするでせう。人生には、そんな転換のきっかけや種がそこらじゅうにある。

先日、たまたま、映画「晩春」をYouTubeで観た(スマホの小さい画面で)…そこらへんにいくらでもある日常の「情景」を描写したドラマ。ハリウッド作品のようにバーン💥とかハラハラとかはないが、その方が真実味があると思う。何故なら、わたしたち一般人が生きているのはその世界で、あー、あの時を境に変わったのだなぁと思い返すのは、かなりの年月を経てというパターンも多い。わたしが、書いたり話したりする舞台もソレで、暮らしのひとコマを切りとるとドラマになる、と勝手にキャチをつけている。小津監督や邦子女子には遥かに(宇宙空間ほどに)及ばないが、それがもともとの日本人的な感性だと思う。
図られた明治維新以降、WW2後はもっと鮮明に、無駄なことをとり入れて本末転倒に成り果ててしまいそうな昨今、ここらで、全面的に意識を変える必要があると思うがどうだろう。
わたしが、子どもの頃、九州では「恵方巻き」など聞いたこともなかったし、ハロウィン🎃なる醜悪な奇妙奇天烈な行事など海の向こうのよそごとだった。おぞましい。いつのまに、当たり前のように刷り込まれたのか?考えたらゾッとするだろう。余計なことはしないに限るし、日々の小さな幸せを享受する方がいいに決まっている。

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