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感情のサーフィン

タイトルには何の関係もないが、何処かに出張する度に何気ないスナップがフォルダに増してゆく、すごいスピードで。整理しなくちゃと思いつつ命に別状ないのでほったらかしになる。己の性質には常々呆れているが改まらない。
最近、昔に比べたら(精神的に)強くなったなと思う、強靭といえるくらいに。20代前半なんて、ショックなことがあると2、3日寝込みそうな勢いで落ち込んだ記憶がある。日々、まわりの出来事に翻弄されたし、根気のない性格だったから初志貫徹できる自信もなかった。人生は大海を渡る小舟に喩えられることが多いが、まさしく葉っぱの舟のようだったから、今にして思えば大したことのない小波のようなことにさえいちいちひっくり返りそうになっていた。まぁ、そのうち、経験値が増えると、コレしきでは沈まないんだよ、と理解できてきて、次第にわーわーいわなくなった。100歳には遠く及ばないが、半分以上にはなったからちょっとのことでは動じない。わたしはカテゴリは女性だが、自営業や何かの代表をしていたから、なるべく冷静に、誰にでも公平にふつうに理解を得られやすいよう、論理的に説明できるようこころがけてきたし、もともと感情に任せてギャーギャーいったりもしないが、ほんとうは木の葉のサーフィン(情緒的思考)だから、それはあくまで後天的に努力して身につけてきたもので、学問も足りないから、未だに、論理的に説明できずに支離滅裂じゃね?と笑うことがある。想いを伝えるのはなかなかに難しい。しかし、幸いだったのは、そもそも、何のタイトルもついていない小舟だから、揶揄されようが世間の評価なら仕方ないよねと開き直りあまりダメージは受けなかった。己のバカさ加減は身にしみている。

たぶん、強靭さの裏付けは、この身の程を知る、バカさ加減を知っていることにあると思う。ほんとうの波乗りサーフィンはしたことがないが、翻弄されることを楽しむには事態を冷静に読むこと自然には逆らわないで波に乗ることだろう。安定など何処にもない、それがふつうと知っていて平常心で居続けられるのかともいえるだろう。そういう意味では場数を踏むことに勝るものはないが、やはり、己を知ることがいちばん大切だ。変な例えで恐縮だが、たまに、名だたる大学教授が万引きや盗撮や何でそんなこと?という事件を起こして世間を騒がせ、あげくに人生を台無しにしてしまうことがある。日頃は絶対にしないようなことが何かの縁起で一瞬芽吹いてしまったからだ。やったことは仕方がないとして、己の姿を素直に見つめ、詫びるところは詫び、淡々と生きていけばいい。すばらしい才能もあるのだから棒に振ってはいけないと誰かいわなかったのか?まぁ、聞かなかった、聞かないくらい偉かったのか、ということでもある。ひとの評価は他人がするが、それは表向きの資本主義的な尺度のことが多いから、世間の評価=自分自身と勘違いすると、最悪、誰かが意図的に貶めようとした時に、事実とは異なる世間の目で押しつぶされて消えてしまうことだってある。感情のサーフィンに乗らない。己を知ること。軸をぶらしてはいけない。

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