見出し画像

退化する人類

きのゔ、中途半端で失礼したので、GW最後にちょっとおまけ(^O^)
おまけにしてはいささか辛辣なタイトルではあるが、最近トミにそう思う。これは、自分への自戒も込めてだが、昭和世代までなら、まだ、いくらかマシな気がする。さっき、めつたに見ないTV(帰省中の姉が見ていた)を横目で見ていて、ゲスト所有の懐かしいカセットテープを再生してみるシーンがあって、ほんと、かつてはアレだったよねと。それも、たかだか30年前の話で、まぁ、古いといえば古いが、30年前に生まれたひとでも、当然30歳でしかないのだから、まだ、それ以前の層の方が多いわけで、ここが逆転しはじめるのももう時間の問題なんだろうな、と。アナログのカセットテープ📼からデジタルのCD💿に移り変わって、今では、そのCDだって消えつつあるような世の中で、ビジネスでもペーパーレスなんていって、なんだかよくわからないような(電気が不通になればリカバリできない不穏な)、安心と安全はタダみたいなバカみたいな風潮になっていて、イザという時に慌てふためいて他人のせいにするのはお前たちだろう、と思っている。
さっき、先日、秋田の温泉宿の食事にともされた自家製とおぼしき蕗の煮ものがおいしかったので、どうやってつくるの?と伺ったところ、丁寧に教えてくださったのを再現してみた。おかみは、蕗はその日に調理すると苦いから翌日にね、といったので、きのう庭で摘んで、玄関に置いておいた。そう、きのゔ、坊さんや親戚が通った脇のところに。そして、けさ、雨戸を開けるついでに、おもむろに、皮をむきアクをとって調理した。ま、そこそこ80%くらいは再現できたと思う。昔、子どもの時分に母がまるで魔法使いのように、ひとのレシピやたった今TVで流れたテロップの通りの料理をいとも簡単に再現する様に驚いたが、何のことはない、歳を重ねて、いつのまにか自分だってそうなっている。仮に食べたことがなくても、おそらくはこんな感じだよな、とイメージしてそこそこ同じものをつくることだってできる。しかし、これからはそうはいかない。
必要のなくなったものは退化するのが世のならいだ。アメーバ、魚類、両生類、爬虫類と進化してきて、わたしたちには水かきも角もない。二足歩行になって尻尾もなくなったし、ニャーとも鳴かない。ま、そういう外形のことではなくても、使わない知識はすぐに忘れるし、応用することがなければ脳のシナプスが縦横無尽につながって、ピン✨と閃くようなことにはならない。車の運転だってオートマを超えて「自動」になるような時代だ。それが果たして便利なのかも?だし、物理的に、アレクサに電灯を消してもらう必要がある方が少数だろう、と思うが、そのうち、スイッチの切り方を忘れてしまったという情けない現象が起きないとも限らない。脳はいちいちパキパキと動くのを面倒がり、じっとしているのが省エネなのだから、使わなければ使えなくなるのが自然の道理。そのうち、文明のあかりも消えてしまうだろう(T . T)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?