見出し画像

最期のピース

きょうは、満80歳で亡くなった母の命日…
庭に咲くあじさいと晩年好物だったマカロニサラダ、もとから必須のりんご🍎と千鳥饅頭をお供えする…きのう、ちょっと思いついて久しぶりにジグソーパズル🧩をしてみた、98円ショップで買ったままほったらかしていたものだ。小さいからと何の気なしにはじめたが、意外にはかどらず、えぇ、と青くなりかけ、いやいや、ひとつずつ確実にといいきかせて途中断念を回避すると、あるピースを境に山道を下るようなスピードで完成した。それは、見事な展開だった。
母は、介護生活のストレスからか、特定疾患の病名を3つももらいながら16年もがんばってくれ、ひとさまからは80は短いといわれたりもするが、わたしには、おそらく本人にも充分な長さと生き様だった。時折、もうお迎えが来ればいいのに、などとため息をつきながら、翌る日にはTVで見た健康情報を教えてくれる。いわれるままに、メニューに加えるとうれしそうに食してくれたものだ。

ひとは、明日、自分がどうなるかなど誰も知らない。母の最期の日、肺炎も治り、さぁ、今から徐々に復活してくれるはずと前日に主治医と話していたから、のんきに友達に渡す弁当を下げ、帰りに図書館で本を借りようなどとスキップする足どりで病室を見舞うと、しばらくして容態が急変した。それからはあっ、という間だった。生まれた時に、あらかじめ設定されていたタイムラインが、ガチャっとリセットされた瞬間だった。もう、充分、ありがとう、お疲れ様でした!涙の一滴もこぼれなかった。
知らないからこそ受容できる、明るくのんきに考えてがんばれる、そういうことがいろいろな場面で起きている。後から思い返して、あぁ、あの時が境だったのだと気がつくこともある。母は、誤嚥性肺炎から復活したところでエネルギーを使い果たしてしまったのかも知れないし、専門家に聞くところによると余力を30%ほど残した地点で旅立つのが逝く方も見送る方にもベターなのだ、と。そういう意味では、実に優等な旅立ちであったろう。
なにも、死ぬ時ばかりではない、わたしたちは、結果をまちがいなく予想することもできないし、地震や災害を予知する能力も持ち合わせていない。そして、歳を重ねるにつれて、そんなことを心配して怯えて暮らすより、起こったことは最善の努力で乗り切るしかなく、乗り越えることができずに途中でアウトになったとしてもなるべく後ろ髪を引かれず後悔が少なく済むように毎日を送るべきだ、と思い至る。
近代に生きるわれわれは、子どもの頃から努力と勤勉を強いられ、それが当たり前と思い込んで生きてくるが、ほんとうは、自分で(力づくで)解決できる問題などたかが知れている。いや、ほとんどない…
その真実に気がつくには、自然の摂理、宇宙を統べる法則に思い至らない限り難しい…最期のピースをはめるのは、わたしたちの表層(現在意識)ではないのだ。身を以て知る親の恩というが、無自覚に生かされてきたことに気づいた時、オールマイティのいったんを知ることになろう✨

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?