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意識と時間①

番組のゲストにマヤ暦&易学の先生をお迎えして、時計が刻む24時間は便宜上つくられた時の概念で、きょうはあっという間に過ぎたねぇと受けとめる時間感覚の方こそがまさしく「時」であって、時間は伸び縮みするのは相対性理論でも導かれているのだから、という確認からトークしていった。
先日書き上げた『感情と意識のベール』岡潔先生講義録からには、生後2年4ヶ月くらいから「現在」の認識がはじまることを観察なさる様子が、ピアノ室の出来事として語られている。わたしは、鰯の頭も信心からというスタイルが嫌いなので、情緒を最重要視しながらもアカデミックな視点で観察された事象は参考に値すると思う。何故、どうして?は自我のはたらきだが、物心両面から正しく見るには大脳前頭葉と側頭葉を使って論理的に考えることも必要、それなくして語ってもわかるようには伝わらない。釈尊は、自我を滅しよ!とおっしゃって、それが輪廻から解脱する唯一の手段と説いたが、それなら、まず、その自我がどうはたらくのかを知らなければうまくいかないハズ。
しょうけん ごうん かいくう ど いっさいくやく、と般若心経のはじめに出てくる照見とは見定るという意味になるらしく、五蘊のはたらきを明らかにすればいいのだよ、と。この五蘊のもとは自我から派生するから、その自我がいつから形成されて、生まれた時点で生得的に内帯している真情(純粋意識)と自我の間にできてくる感情と意識のベールがこうなってるん、と知ることは非常に大切なことだ。便利な家電でも使い方を知らなければ宝の持ち腐れになるし、今どきの白物家電はスタイリッシュ過ぎて、ん?電源どこにあるの?と探しまわったりすることすらある。ONにできなければ何もはじまらない。

↑ 写真が何故くらげなのか…実は、脳ミソのないくらげもいわゆる(わたしたちが勝手にそう呼んでいる)高等生物と同様に、わずか数分のうちに、周りの外界の様子を把握して動きを変える=学習能力を持つことがハッキリとわかったらしい。冷静に考えれば、わたしたちの個々の細胞だって、細胞膜は誰に指示されなくても選択的な透過性を発揮して勝手にはたらいてくれているのだから、何でもかんでも脳で制御していると思い込んでる方がおかしいが、ま、そんなことをあまり深く考えていないから、大過なく生きていられる一面もなきにしもあらず。くらげを見ていると、フワッフワッと漂う様が、なんかいいよねと感じる。もしかしたら、このひとはよけいな自我が何もないから自由でいられるのかも知れない、最初から解脱しているなんてすごいし、じゃ、幸せでいようと思えば、くらげ🪼の方が高等なんじゃない?ともいえる。
岡先生いわく、植物にも純粋意識はある。自我はない。置かれたところで懸命に咲いてと形容するが、考えてやっているわけではない。春がくればひとりでに芽吹き花が咲く、それを見ればわたしたちもうれしい…その主語も時間もない一体的な無差別智のはたらきが現れる源が真情。しばらく、このテーマで続けます


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