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『50年後の講義、岡潔先生講義録から』

岡潔先生のご自宅をお尋ねしたのは秋深まる頃だったから、先生がいちばんお好きだったと伝わる庭の梅の花を見ることあたわず、また、先生のお墓の脇には、先輩有志の方々が植えたという、今では大きく育った桜の樹があるが、桜の季節はどんなだろうと想いをはせた。
先生の晩年の論説は難解といわれる。ふしぎなご縁で、数年前から講義録の解説をするようになったが、何故難解かと想像してみると、いくらか仏教、神道、東洋思想哲学の素養とまともな歴史認識がないとスンナリいかないかも、先生は天才だけどこっちは凡人なのでいちいち、えぇっとォとなる、頭でも感情でもない無差別智的なわかり方に慣れたひとでないとなぁ、みたいな。わたしには、たまたま、おっしゃっていることの意味がわかったのだから、おそらくその逆では難しいのだろう。深く尖ってではなくて、広く浅くが役に立つこともあるのだ。

先日、ある70歳過ぎの社長さんが、昔通っていた大学付近を電車の窓ごしに通り過ぎた際に「50年ぶりかなぁ」とおっしゃったので、おー、社長があの講義録の学生さんと同じ年代なのか、とひとり静かにうなずいた。経験の少ない若者(リアルタイムで聴講した方)が右から左に中身がわかったとは思われないが、忍の一字ででも出席していれば、必ず得たものはあったにちがいない。声は周波数(波動)そのものだから、脳にもダイレクトに伝わったハズだ。先生は、毎年、学生に作文を書かせて、人生や世の中や学生生活への嘆きや何となく問題意識をもつ者にはいい評価をなさる、いわゆる戦後のカリキュラム式のお勉強ができる優等生は宜しくないと思っておられたのが伝わってくる。

今のわたしたちは、残念ながら、教育をまちがったらこうなる見本のような存在だろう。先生が危惧なさった通りの…そんな(T . T)トホホを跳ね返して、幸せに生きていきたい。まだ、遅くはない。デジタル化して、コイツはこんな解釈をしたのか、フフン、も含めて残しておけば100年後に伝えることができる。もっとサクサクわかるひとたちの時代がくるかも知れないし。
子どもの頃、怠け者で、努力って言葉が嫌いだったわたしが、全力で残そうとしているわけがソレなのだ。

『50年後の講義、岡潔先生講義録から』
ある日の講義をテキスト化して、解説を加えました。
巻末に書き下ろし「内在する秩序、シンクロニシティを超えてゆけ」掲載。


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