見出し画像

引き算の時代

近所の田んぼでも稲刈りがはじまったよ。
黄金に実った稲穂を見る度に「実るほど…」、いつも執筆していると、こーゆーフレーズが浮かんでくるので、昭和なおばさんやねと笑う。
岡潔先生のテキストを読み上げて音声認識で入力すると、ルビを振らないと読めないよね、振っても意味不明よね、が頻発する。ひよっとするとルビって何?と聞かれるかもしれない😳
さて、それはひとの人生だから仕方ないとして、最近、還暦が近づいてきたせいもあって、この先は引き算の人生へシフトできるかだなぁ、としみじみ。
今はネットの世の中だが、昔なら図書館に行って、あー、あった良かった、と独り言をいって偉人のエピソードなどを書き写したりして、あるいは、大学の先生の話をYouTubeで見聞きするなんてなかったし、だからこそ、情報は貴重で、たくさん所有するものの知的レベルが高いなんて思われたりしていたが、今は、ググればそこそこ何でもコピペできるのが当たり前になってしまった。確かに便利でありがたい。
しかし、岡先生の未出版の講義録は、研究会の諸先輩方が、カセットテープ📼に録音し、それを原稿用紙に、それをA4のレポート形式に書き換えてくださったもので、今度は、わたしが、注釈、コメント加筆するのに、デジタル化するというアナログな作業の上に成り立っている。お疲れ様…もし、先輩方が貴重な講義を記録に残しておこう!と思いつかなかったらOUTだった。もともと、日本人は几帳面だった(過去形)から、こういうリレーが可能だった。もちろん、今なら、その場でポンではあるが。

そう、それで、引き算だけど、今度は、あふれたほんもの偽物ごった煮の情報や要るかなと思ってキープしていたもののやがて使われることなくゴミ箱へ、というパターンもあって、集められたものを取捨選択して、サッサと捨てなければフォルダー満杯現象が起こる。少し前まではコレが、書籍を📚古本屋へ、だった。その上、断捨離といわれる時代も手伝って、空きスペースをつくるため、さっぱりするためにも要らないものは処分しましょう、ということに。
定期的に、数年おきにでも頭の中をリニューアルするのは一理あるし、そろそろサー、還暦なんだから、ちょっと人生総括するのもいいんじゃない?という気にもなる。まぁ、エンディングノートを書くとか一代記を記すとか、そういうことではなくても、モノもヒトも減らして、身軽になっていくのは必要なこころがまえかも知れないと思う。
「だ」といい切らないのは、ひとそれぞれの考え方があるから。

おまえもサー、自分の好みもわかっちゃってるし、親戚や友だちは数より少数精鋭とか、モノもさ、いっぱいあってもけっきょくいつものやつしか使わないとか、ひとに相談なんかしたって聞かないとか、わかってるんだから、無駄なことはやめたらどうよ、と。見えない、意識されない、自分の本体からそう諭される気がする。若い頃はいろいろ見聞きして栄養を得た気もするけど、イザ捨てて研ぎ澄ませる方向へ、と思う。
(念のため:実るほどこうべを垂れる稲穂かな…詠人不詳の故事成語)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?