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さくらさく🌸...

今でも、小学1年生の国語の教科書に、あいうえおの練習として、さくらさくとあるのか定かでないが、この時期になると仕事半分で、近所の桜スポットに日参してしまう。もう、何十回も同じポジションから写メを撮り、ときどきアーカイブを振り返って、あー、この年はこうだったなぁ、と思い返したりする。
「やまとごころをひと問わば 朝日に匂う山桜花」と詠んだのは、本居宣長先生で、岡潔先生の講義録に度々登場する…
今、わたしたちが見ているヨメイヨシノは、江戸時代に巣鴨付近の染井村で品種改良されたもので、それ以前は、山桜しかなかったわけで、桜のオリジナルのようなもの。それが、日本人のこころの原点だと聞いて、たぶんほとんどのひとは違和感がないと思うがどうだろう。
海外から、仕事で数年国内に滞在すると、桜の見事さ日本独特の樹下のプチパーティのファンになり、帰国後も、度々、訪れるひとがあるらしい。ほら、だから、ひと問わば…なわけだ、外人さんでもわかるのだから。

写真はソメイヨシノではないが、今日現在、ここ九州ではソメイヨシノは、まだチラホラとしか開いていないので待ち遠しい。3日も青天が続けば一気呵成に開花してくれるだろう。最近では、BBQのケータリングなどもあるらしく、手づくりの花見弁当をつくるひとも少なくなった。デパ地下でもスーパーでもコンビニでも色とりどりの弁当をチョイスできる時代なのだから…
しかし、いったん、冷静になって考えると、国の内外はおかしなことだらけで、こと国内では自分たちの首を絞めるようなことが着々と進行していることに憤りを感じる。意味不明、お前たちは一体何がしたいのか?と心底疑問に思うのはわたしだけではないはずだ。フランスのように大規模なデモをしろというわけではない、もっとも、それすら国内では報道されていないのだから(T . T)

常々、話している通り、わたしたちは、ひとりひとり別々にものを感じ、別々の概念で世界を構築しているから、その個々のひとりひとりの想念が転換することが大切と実感する。個は抗う力を持たないと思いがちだが、そのひとりひとりの世界観が変われば自ずとその反映である社会も反転する。懐疑的になる前に、ひっそり、こっそり、自分だけでも変わるのが先だ。ひとのこと、文句いってる場合じゃない。わたしは、自分の腑に落ちていないことは公共の電波で話さないと自戒している。浅学で思いちがいもあるが、まちがいはそれなりに後からでもお詫びすればいいと信じてしゃべっている。
岡潔先生は、日本人なら、ひとつ知ったら行動すべし、臆せず隣のひとに声をかけるのだ、行動しなければ何も変わらないとお言葉をくださっている。まちがったらそこからやり直せばいい、と。実際、その言葉なくして、わたしがここで考えを述べることはなかったろう。さぁ、いよいよ、今週はお花見ウィークになりそうだ。とても楽しみにしている。

「そらの玉手箱web」を開設したので、そちらも是非ご覧ください。量子について語っています。https://wellness7.co.jp/soratama/

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