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屋久島で考えたこと

島から戻ったらいきなり寒くなって(T . T)ふぇ
滞在中、解剖学者の養老孟司先生の動画をいくつか拝見したが…以前から番組で先生の見解を一部引用させていただいたりしていて、さすが、学びの深い方、さらには研究歴の長い先生の観察眼には脱帽する、わたしみたいに何となくそんな気がするのではないんだよなぁ(笑)

量子物理学を突きつめると「時間」は存在しなくても説明がつく、とおっしゃるが…わたしは数学も物理も極められないし、その努力も長らく放棄しているが、ヒトは自分でつくりだした概念という世界で生きていることには大いにうなづく。そして、「=」という怪しげな、1=A、1数字とA文字が等しいという自然界では成り立たない有り得ない公式を脳の中で生み出して、あたかもそれが常識のように、平均・単純化した極みがコンピュータ「0or1」だと…そもそも、個々別々の姿形のものをコレかアレに当てはめて同じ(等価)にするなんておかしな話で、それに疑問を持たずに黙って従うヒトとそれでは自分に備わった感覚・感性(見た目も中身もちがうものは別のもの)の気がすまないと死守しようとすれば、自ずと社会とズレてしまう💦

わたしは、コ○ナのはじまるはるか以前からすでにワクチン不要論支持者だったから、当然、あんなもの無視し続けているが、今回、旅行支援にあたり、仕方なく抗原検査を受けることになった。不承不承ではあるがPCRよりはマシと踏んだ。それこそ、コ○ナなど影も形もない頃にたまたまキャリー・マリス博士の本を読んでポリメラーゼ連鎖反応のしくみは知っていたから、そんなアホな、と呆れた。ついでに、リュック・モンタニエ博士の著書も読んでいたから、世の中のひとは、ちょっとググればヒットするような、紙に印刷されて出版されているような情報を得ようともしないで、ひとにいわれるままに平均化されても平気なのがふしぎでならない。ほんとうに、ひとりひとり自分が思い浮かべる概念の世界で生きていることの証拠だ。ひとさまの人生をとやかくいうのはフェアじゃないから、問われない限りはそっとしておくが、ここまで来ると、わたしのようなマイノリティとは、今後も天然自然に分かり合えることはないのかも知れない。若い頃なら、それも辛かったかも知れないが、すでに、友達なんて5本の指ほどの少数でいいし、はじめて会った、それこそ親子ほど歳の離れた若者にだって、意思の疎通ができ、素晴らしい感性の持ち主で将来が楽しみと思うひともいるのだから、このまま自然に流されていけばいいと思う…

岡潔先生は、そこそこ学があり、きちんと「情」を文学した最後の作家は夏目漱石、芥川になるともうダメ、とおっしゃっている…漱石は、英国留学経験がある英語教師だから、西洋人とのちがいなども熟知していたのだろう。流れに棹させば流される、といっているが、本来は情が、見えないが、頭で考えるのではなくて自然にはたらく直感を生む方の本体で、五感の刺激を受けて情動を起こす大脳前頭葉(自我)のはたらき、表層の感情とは別のもの…別のものを「=」で捉えている西洋式の心理学はけっして全体を表さないことを知っていたのだろう…大いにうなづけるではないか✨

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