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不安定を乗りこなす①

前の記事で、喩えにサーフィンを持ち出したので、不安定についても考えてみよう。脳は変化(エネルギーの消費)を嫌うから、なるべくきのうもきょうもおんなじがいいと思い込まされている。しかし、その、きのう、きょうは、わたしたちの顕在意識がずーっと線形に引っ張ってつなげている産物なので現実を表していない。1つ1つのコマは事実(起こった経験した)だが、それをつなげて実体っぽいしかも安定(固定)している世界が存在すると思い込んでいる。だから、突然の変化があると、ややや、と動揺する。善いことならいいが、アクジデントと思われることなら動揺のあまり、やややでは済まず、ひゃー、どうしよう😱になる。
たいていはそれで止まらなくて、まずいマズイ、怖いコワイ、どうしよう、何とかしなくては、えー、どーするぅ!と感情の波がくり返し押し寄せてくる。不安の再生産だ。サーフィンでねらっていた遠くに見える大きな波とは全く別の小波に不意にボードをさらわれたような時、サッ、とリカバリできる強者は、よほど経験豊富かバランス感覚がすぐれているか、だろう。ふつうは十中八九足をすくわれる。
自ら生み出した不安を増幅させて恐怖で立ちすくむ場面がきたら、ん?ちょっと待てよ、今どういうことになってたんだっけ?と事実を確認しようとしなければ適切な判断はできない。この理屈だけはこころに深く刻んでいて欲しい。

宇宙のすべては同じ理屈、法則性で作動しているから、自分がひとりでに不安にさいなまれているなら、その事実を知って、まずは、その感情の連鎖をやめてみる。恐怖でも怒りでも感情自体は一瞬のカードのようなもの(だって時間なんて造られた概念で、時は連続していないの)だから、?待てよ、と冷静になることからはじまる。わたしたちは、人生のあらゆる記憶を蓄積しているから、あの時こうだったから次もこう、と勝手に仮説を立てる、しかも瞬時に。そこで、いや、ほんとうにそうなのか?と確認すれば、その可能性は大だとしてもそうとも限らない、と思えなくもない。あるいは、そう思えないとしても、無駄にもがいて海の底に沈むより、多少は流されても波に浮かぶ(無抵抗で現実に沿ってみる)ことにしてみる。すると、ふしぎなことに現実の方がひとりでに変わるのだ、自分は何もしていないのに…
ここで、何もしない、というと、ほんとうに一切何もしないひとがいそうだが、ニュアンスをつかんで欲しい。固定概念や蓄積されたノウハウはいったん脇に置いて無駄な思考はやめにする、泳ぐべき時には懸命に泳ぐ、落ち着いて無駄に息もエネルギーも消費しないようにする、といった行為は必要で、まちがった(過去の蓄積から連想される)意識に従わないという意味デス。

あ、このポジションいい、と写メチャンスをねらっていたら、チャラいカップルが傍若無人に橋の周囲で長時間ポージングし続け、あげくに、通行人のおばはんがツーショットを手を替え品を替え写してやって、もー!とあきらめて30分後、また通りかかったら、ほとんど通行人なし、しかも、人力車に遊覧船…見よ、この抗わないなりゆきを( ̄ー ̄)ニヤリ。


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