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春は桜、秋はもみじ🍁

「いにしえの大和心をひと問わば 朝日に匂う山桜花」と詠んだのは、江戸時代の本居宣長先生です…わたしたちは、桜の花の散る様にこころを映して、錦に染まる山々の風情に深まる秋の寂しさを感じますね、まだ、言葉を話さない幼児から人生を百回重ねてきたお年寄りでも共通のやまとごごろがあるというのです…
俳聖、松尾芭蕉は「秋風は ものいわぬ子にも涙にて」といっています、目の前の光景を見て、自然と一体となった心境、小我のはたらきのない自他一体のこころ音が、日本人の奥深い無意識下に流れる情=真我、真情だと

では、そのこころのありかは何処でしょう?
何かを突きつめて考えたわけでもないのに、フッ、と去来するもの、そのこころのありかは、カール・ユングの集合的無意識にも通じるところがあるでしょう…だから、脳ミソの中に存在するわけではないはずです、脳は単なる受信機、パソコンの端末であって、ホストのスーパーコンピュータは別に存在しているわけですから、宇宙の何処かに、あるいは、わたくしたちが暮らすこの地球の同じ場所にくつもちがうエネルギーの次元が存在している…
目には見えないが、確かに存在する「意識」、この意識には階層があり、例えば仏教の唯識学派では九つの階層からなる、とされて、いわゆる集合的無意識は「第八織、阿頼耶識に相当する、時間も空間にも左右されない」といわれます

桜は春に咲くものですが、秋〜冬に咲く品種もいくつかあるようです
写真は、大分県別府市で撮ったものですが、一年のこの時期、10日ほどだけの共演だそうです(^^)とても貴重なものを見せていただきました…
何はこう、アレはそう、とついつい常識で判断しますが、それは、長年の習慣によって自分で決めつけているだけのことです
秋に咲く桜もあると知って、へー、と意外に感じますが、それもまた新しい発見ですね、昭和の演歌に「人生いろいろ」とありましたが、その感慨の湧き出るこころにもレベル、レイヤーがあるということでしょう

わたくしは、担当するラジオ番組で、たびたび、岡潔先生の「情と日本人」をとりあげますが、世界情勢が混沌とする今、また、他国との関係、国内の食糧事情の懸念やインフレといった問題に直面する時、おそらくは、激動の歴史を経ながらも脈々と受け継がれて来た、わたくしたち日本人のベースとなる、経験や知識に関係なく生まれながら元から備わった「情」にスポットを当て、基本に立ち返るのが、危機を乗り越える智恵と認識しています
目には見えないものを言葉にするのは、とても難しいものです、無限の世界を拙い言葉で表すのは無理難題です、それでも、たとえ揶揄されても、何かひとつでもみなさまに伝われば良い、伝えなければ滅んでしまう!ヒシヒシと迫る危機に、対峙しています

お時間があれば、ぜひ、番組抜粋の音声配信もお聴きください


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