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秋が来れば紅葉🍁

きのう、秋が来れば栗🌰と書いたので、きょうはモミジというわけでもないが、岡潔先生の肉性テープ📼に「秋が来れば紅葉」があって、数学者岡潔思想研究会のホームページから誰でも無料で聴くことができる。もともと、ご本人が特におっしゃったわけではなく、横山会長が便宜的につけたタイトルらしいが、ほんとうに価値のある貴重な宝だと思う。わー、先生が生きてしゃべってるよー、といつも感動する。
で、きのう、ちらっと触れた「50年後の講義」の執筆には、講義録部分のテキストを音声認識で入力→手で修正をくり返したが、何故、こんなふつーの単語がこの漢字の組み合わせになるのか、逆にこっちが難読だろう?とふしぎになるものもあり、発音がいけなかったんでせう、と反省したりする。しかし、手間を増やしてまで、何故そうするかというと、代読ではあるが、そこにありありとそしてダイレクトに岡潔的思考がインプットされるといおうか、脳の認識には自他の区別がないので、耳から入ると、圧倒的な臨場感、共有される感覚があるからだ。なりきりモノマネとまではいかないが、小学生の頃、教科書音読の宿題が出たのは、こういうのもいくらか関係していたのだろうと合点がいく。
そうそう、今、自他の区別がない、と書いたが、それが意識の奥深いところには、さらに情から出てくる情緒の大脳前頭葉を通さないわかり方(理解ではない)があるし、昔の東洋人はみんなこのわかり方をしていた。特に、日本では、明治以降、西洋文化大絶賛セール的導入がなされるまでは…

さて、上の写真には、コウヨウと山桜が一緒に写っていて珍しいが、まちがって秋に咲いたわけではなくてこういう品種。ひと粒で2度美味しいとは、キャラメルのキャッチコピーで、ついでに、脱線するが、昭和の名コピーには他にも「ちがいのわかる男」というインスタントコーヒーの宣伝があって、ここの日本社の前社長さん、ジャニタレを意図的に一度も起用しなった、ちがいのわかる判断と絶賛されているらしい。この、どうかなぁ、何だかなぁ、という警告も、耳をすませば、こころの奥底から湧き出てくるもので、理論的には説明できない、説明したとしても無理矢理に後付けしただけのもの。マーケティングでは、購買動機は感情が動かされたのを理性で後から理屈をこねるだけ、と解釈される通りだ。だから、Yesか Noを押すだけ、コピペするだけ、よく考えもしないで不平不満をぶちまけるだけのような、情緒はおろか大脳前頭葉すら使っていないところてんのような生活をしていると、日本人の民族性や文明文化は、そのうち消滅してしまう。50年前、岡先生は、それを危惧なさり、それをくい止めるために若者の教育に奔走なさったが、残念ながら、世の中は変わらず、もっと加速して棄民的になってしまった。まさにお釈迦さまが予言なさった通りの末法末世の時代。しかし、ヒトは、ドン底のもうこれ以上下がないところからV字回復することもある。そのためには、意識について深く知ることだ。
(因みに、ところてんは「心太」と書きます)

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