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実学主義への疑問

 先日「教育現場は困ってる:薄っぺらな大人をつくる実学志向」という本を読んだ。これまでの自分を振り返りつつ、感想もかねて自分の考えを記録しておく。


中学生ながら

 中学生くらいになると途端に学校の授業が難しくなり、理解が追い付かない子供が現れる。そして彼らが口をそろえて「これが将来の役に立つのか?」と教師に尋ね、「あなたたちの将来のために勉強するのだ」と答えにならない答えをもらっている姿を何度も目にしてきた。
 それを見て子供ながらに感じていたのは、言葉は違えども子供も教師も、役に立つ事柄のみを勉強したいという考え方、すなわち実学志向に支配されているのだと思っていた。

高校に進学するか否か

 私自身、中学生の頃すべての物事に意味を見出そうとしていた時期があった。その中でも高校に行く意味については随分長いこと考えていた。大学受験のための3年間であるならばその3年間は未来のための準備期間であり、その期間は社会の役に立てないのではと考えていた。(今も昔も私の人生の目標は社会の役に立つことである。)だから中卒で働いたほうが良いのではないかとも思っていた。そのような中で偶然にも地域みらい留学を知り、受験勉強だけではない高校生活に惹かれ何とか高校生になった。

高校の授業

 中学校の授業で数学で負の数の概念が現れて驚いたり国語で助詞ひとつひとつを区別したりしていたことが笑えるくらい高校の授業は日常とかけ離れていた。これまでのように「これが将来の役に立つのか?」と考える隙すら与えないくらい高度で日常生活になじみのないことばかりだった。別の見方をするならば、私を含めほとんどの生徒が役に立たないことは自明でありむしろそれを楽しめるかどうかで日々の授業への心の持ち様が変わっていたのだろう。

本との出会い

 題名の前半部分しか読んでいなかった私はてっきり最近はやりの学校現場の過酷な労働環境を訴えた本だと思っていた。しかし読んでみると全く違う内容で驚いた。むしろ最近の教育の動向に一石を投じるような内容だった。特にアクティブ・ラーニングがグループ活動をすることだと誤解されているという点については強く共感した。

役に立つとは

 そもそも役に立つとは具体的にどのようなことなのだろうか。習ったことと全く同じ問題に出会う可能性で言えば限りなくゼロに近い。では学んだ知識を生かせる仕事は世の中にどれほどあるのだろうか。教師や一部の専門職に限られるように思う。
 では改めて問いたい。役に立つとは何を意味するのか。それは、幅広く学ぶことにより思考を深めたり、自分自身の興味関心を見つけるためではないだろうか。この定義に則れば役に立たないものなどこの世の中に存在しないとさえ思えてくる。

逆説的に考える

 ”学校教育は社会に出てからほとんど役に立たない”と嘆く大人の多いことには今でも驚く。そのように批判するための言葉や思考こそ、学校教育で身に着けたものなのではなかろうか。受験勉強により大学で専門知識や国家資格を手に入れ自分の夢をかなえられた人もいるだろう。
 受験勉強とは異なり、学校での学びと社会で求められるスキルが一対一で結びつくことはごくわずかだろう。私たちが認知しきれていないだけで、実は学校で学んだ価値観や考え方は私たちの行動選択に大きな影響を及ぼしているのかもしれない。

学びは終わらない

 役に立つか否かではなく、学んだこと全てが何かしらの形で役に立つのだと思う。今日のnoteの記事で大人になり学びを止める人が多いという記事を目にした。確かに学ばなくても生きていけるだろう。しかしより豊かに生きていくためのひとつの方法として大人になってからも学び続けることがあってもいいと感じている。


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