20220310 差別や偏見ってなくなるのだろうか?
前々からすすめられ、気になっていた映画を見た。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B00QFS47OQ/ref=atv_dp_share_cu_r
「チョコレートドーナツ」という映画。
1時間半ほどの映画だけど、見ていて身につまされる。
マイノリティは、どこにでもいる。
しかしながら、差別や偏見をものすごく受ける対象になりやすい。
「普通」といわれるものと違うために。
「普通」って、何だろう?
「正義」って何だろう?
誰もが自分の考えていることを「正しい」と思う。
しかしながら、本当にそれは「正しい」のか?
異なる正しさと正しさがぶつかってしまったら、そこには争いしか起こらない。
自分は、自分のことが正しいのか?ということには自信がない。
これは、自己肯定感が低いとかそういう話ではなく、「正しさ」というのはあくまでも人の頭の中で考えた思考であって、実際に起こっている現象や事実ではない。
現象や事実を誰かの「思考」という物差しで測ったものであるから。その物差しが変われば正しさなんてあっという間に変わってしまう。
人類の進化ではなく進歩の中で、多様性が有るということがヒトという生物の種としての生存戦略でもある。
それは、ヒトという動物が「関係の生物」だから。
ヒトという動物は、自然界においてはものすごく弱い生き物であるのは間違いない。
だから、関係を持ち、協力して社会を形成することで生き残るという生存戦略を選択したはず。
多様性がない状態になるというのは、そもそもその集団の負け戦が始まったといっても良いのかもしれない。
しかしながら、これに気付かないと泥船に乗ってその集団は沈んでいく。
そこの所に気がついた人が世界中に増えてきたからこそ、マイノリティの差別は無意味だということが広がってきているのだろう。
この価値観は、人を縛るような形で利益を追求する人達にとっては、ものすごく受け入れられないはず。
そこで、「普通ではない」という言葉であおることになる。
「普通」という言葉をたくさん言う人は、気をつけた方が良い。
自分はそう思うようにしている。
なぜなら、「普通」という言葉を楯に、人を傷つけることにものすごく鈍感だから。
今日、さんざん「普通」という言葉でコントロールしようとする人と接することがあったため、この映画とリンクしてとても悲しい気分になった。
「普通」なんてないのだ。
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