見出し画像

日々色づいていくのがわかる

毎日、明るい時間帯にベランダに出ることがこの1年近く増えた。仕事をしている時は、明るい時間帯に帰ってくることなどできない。

朝、そして夕方、天気が晴れている限りは毎日ベランダに出る。
季節の移り変わりがこんなに早いなんて思ってもみなかった。
ちょっと前までは、「夏」という印象だったが、あっという間にベランダから見える風景は「秋」に変わってしまった。

毎日、太陽が沈んで行く時間帯を過ごしていて、理科の知識としては知っていた「日没する場所の変化」というものがものすごく実感できる。
どんどん南寄りに変化している。
日の沈む時間帯も早い。

フルタイムで仕事をしていると、日々の変化に気がついていても、その変化に心が動くのをガードしている様な状態で過ごしていた。
自分の欲望としては、自然を体いっぱいに感じたい、季節の移ろいを体いっぱいに感じたい、そんな気持ちがあったから。
だから、季節が移ろって見えるものの姿が変わっても、目を閉ざしていた。
そんな日常を送っていた。
そういう意味では、今は毎日の生活の中で、季節を感じることができているのはありがたいところでもある。
しかし、毎日進んでいく季節の移り変わりの速さに、戸惑っているのも正直なところ。
自分があまりにもなんにも変化していない様な感覚(これはセルフモニタリング的には自動思考で、事実ではない)で、それとあまりにも対象的な状況がある。

ーーーーー

あっという間に日が沈んで暗くなってしまうので、夕方の時間の過ごし方を立て直さないといけなくなった。
何のこだわりかわからないが、時間通りに動くのではなく明るい間にウォーキングに出かけたい、そんな考えがある。
だから、夕方の4時頃になるとものすごくソワソワとしてしまう。
ちょっと油断してしまうと、陽は沈んでしまって、マジックアワーも通り越して、辺りは暗くなってしまう。
暗くなると、当然ながらこの季節になれば、気温もどんどん下がっていってしまう。
「表に出たくない」
そんな気持ちが勝ってしまって、ウォーキングに出かけるのをサボってしまう。

そういえば、本格的にウォーキングを始めたのが、春分の日を越えてからだった。
休職してから、春分の日の頃まではいくらウォーキングが体にいいと分かっていてもウォーキングに出掛けることはなかった。
この辺が、これから日が短くなる季節の中で、自分のこだわりを外していくひとつの課題なんだろうな。

どうも秋の夕方は、ものすごく心の中に「冷たく乾いた空気」が流れ込んでくる。
勝手なイメージだけど、
「この冷たく乾いた空気が心にあたるのを防ぎたい」
そんな防衛反応が自分の中に怒っているような気がする。
「心は暖かく柔らかい状態でいたい。
冷たい風にあたって、凍えて小さく固まってしまいそう」
そういう自動思考が、自分の中にあるような感じがする。

画像1

団地の桜の木は、見事に色づいている。
このペースで行くと、もう少しで葉を落とし始めるはず。

冬はもうすぐそこに近づいているのだろうなぁ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?