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20221218 SFは人間が持っている狂気が見え隠れする

昨日見たお芝居は、SF。
原作は、梶尾真治さんの「クロノス・ジョウンターの伝説」。
梶尾真治さんといえば、エマノンのシリーズなどもある。

キャラメルボックスという劇団が、このお芝居を最初に上演したのは2005年。
その時は、神戸でも東京でも1週間以上上演していたので、もしかしたら見た人も結構いらっしゃるのでは。
今回が、再再演ということになる。

梶尾真治さんの小説も、10冊以上は読んだだろうか。
基本は、時空の中に漂い惑わされていく恋愛のお話。
口裂け女をテーマにしたのは、ちょっと違うか。

SFというと、子供向けだとドラえもんだとかパーマンだとか、藤子不二雄が思い浮かぶところもあるが、これらのSFってものすごく優しいSF。
大人向けのSFとなると、どうしても人間の狂気が見え隠れする。
というか、SFだからこそ浮かび上がる感じがある。
筒井康隆にしろ、星新一にしろ。
おばけのQ太郎だって、おとなになった翔ちゃんのもとにQ太郎がやってきたストーリーなどを見ると、大人の世界と噛み合わないQ太郎が哀れになってくる感じが、やっぱり狂気じみている。

クロノス・ジョウンターの伝説やそのシリーズを辿っていくと、人を好きになったことによって、タガが外れてしまった人間の一途な思いが強い決意となって現れている。
一歩間違うと、ストーカーだ。
でも、ストーカーにならない。
それくらい、際どいところにある。

さて、お芝居の話に戻ると、昨日の舞台は人間の持つその狂気じみたものが垣間見えるものになっていた。
初演や再演のときには、あまり感じなかった。
どちらかというと、爽やかな恋愛ものとして存在し、しかし全てがハッピーエンドではないものとしてストーリーはあるのだが、そのところがあまり見えない感じではあった。
ところが、今回の舞台は原作の持つ狂気が見えていた。

自分も2005年から17年も年月を重ねている。
だから、15年前の自分とは変わっているので、感受性も違うのだろう。
17年前にもそうした狂気が表現されていたのかもしれないが、自分にはそこが感じられていなかった。
しかし、今回は同じことを妻も言う。
「これまで見てきたクロノスで、なにかものすごく怖い感覚が一番おおきかった」って。
帰りの車の中、夫婦二人がお芝居の話をする中で、同様の印象を受けていた。

まだ、東京でのチケットは空きがあるらしい。
原作の小説の世界をほとんど壊さず舞台化されているのは、素晴らしいと思う。
観て、損はないと思う。
そして、原作の小説をもう一度読み直そうと、今朝から本棚を探っている。

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