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フィルムって高くなったんだなぁと実感する

フィルムを買いに行ってきた。
いつも10本が1パッケージになっているフィルムを売っているお店だったので、期待して行ってみたけれど、3本セットのものとばら売りとしか置いてない状態になっていた。

ああ、フィルムって高くなったんだなぁとつくづく感じる。

FUJIFILMのものはISOが100のモノも有ったので、そっちにしようかと悩んだけれど、今回はこれにした。
コダックは1本ずつのばら売りだったけど、3本セットのFUJIFILMより1本あたりの値段が安い。

ここのところ、小遣いはフィルムと現像代にしか使っていないなぁ。
それも無尽蔵に有るわけでは無いから、デジカメで頑張るしかないのかなぁ。それこそ、普段歩くところは限られているのだから、デジカメでしっかり練習してみた方が良いのかなぁ。フィルム、好きなんだけどなぁ。

まあ、いくらフィルム写真がブームと言えど、個人で消費するフィルムの量はたかがしれている。それこそ写真を撮るのにはフィルムでないといけない時代というのは、雑誌から新聞からメディアというメディア全てがフィルムを使っていたのだから。
それが、基本的には全部デジタルに移行したと言っても過言ではないはず。
フィルムを消費する絶対量は、二度と20年前には戻らない。

まあ、経済の世界の話なので、こればかりは一消費者の立場としてはどうしようもない。
今の値段くらいで落ち着いてほしいものだけど、それこそフィルム写真という分野がホントに「ブーム」だけで終わってしまったら、手に入れるのも難しくなる時代がやってくるのかもしれない。
そうすると、まだまだ値上がりしていくはず。

生活の様式が変わってきているのだから、確かに仕方がないのかもしれない。
書籍にしろ情報にしろ、デジタルで獲得すると物理的な体積は増えない。電気信号のみの世界で存在する形になるのだから。というか、形そのものもない。
情報をデジタル上で扱う事で、すごく便利な世の中になっているのは間違いないし、自分もその世界の恩恵をたくさん受けている。
どちらかというと、パソコンなどは結構早かったほうだと思う。

でも、物理的なも大好きだったりする。
フィルムがある事の安心感はかなり大きい。HDDをクラッシュさせてしまって、それこそ初期のデジカメの画像4年分が消えてしまったのだから。
キンドルも良いけど、紙の本に付箋を貼りながら、書き込みをしながら読んでいく方がしっくりくる。
雑誌も大きな写真の迫力はやっぱり良い。

ここはジレンマがあって、いずれは死んでしまうわけだから、モノとして持っていても仕方がないというのも感じる。自分が持っているものが未来永劫価値のあるモノな訳がない。
自分という人間を通して、価値を見いだしているのだから。

自分は、所有すること自体が豊かさのステータスみたいな感じがすり込まれている世代かもしれない。
ハードよりもソフト重視の時代になったんだろうな。

フィルムの値段から、世の中のことを色々と考えてしまう。

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