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アドラー心理学の「共同体感覚」を理解するのに10年かかった話 後編

自己肯定感が低く対人関係に悩んでいた私が対人関係の最終目標とされる「共同体感覚」に目覚めるに至った10年間の話。後編です。
前編では私のパーソナリティや共同体感覚について書いています。
よろしければどうぞ↓

この記事は「嫌われる勇気」を読んだ方を対象に書いてます。
「嫌われる勇気」を読んでは見たけど実践する勇気が持てなかった方、実践はしたけど一人ぼっちになってしまったなど対人関係でお悩みの方の参考になればうれしいです。

まだ読んでない方は、こちら↓



孤独な戦いの始まり。

2014年1月6日 仕事始め。6時起床。

昨年末に会社を退職し、自由業として迎える、初めての仕事日でもある。
初日の気分はというと
もう通勤しなくていいんだという安堵、3割。
新しい生活への不安が6割、ワクワク1割。
以前なら、漠然とした不安が9割、イライラと焦り1割という感じだったのでそれに比べると上出来だ。

この頃は共同体感覚という概念もアドラー心理学もまだ知らない。
漠然とした不安や対人関係の悩みから解放されたいという思いはあったものの、どこから手をつければいいのか分からず、手探りの日々だった。

なんにしても、自分の生活の中に「学びを得る」ための時間を準備する必要があると考えた。
そして、取り入れたのが朝活。

朝活が流行って久しい頃で、「学びを得るには朝が一番」というフレーズをテレビかなにかで耳にした気がする。

確かに、朝なら外からの雑音も少ないし、面白いテレビもやってない。集中できそうだ。

しかし、新しい試みを生活に取り入れるのは簡単ではなかった。

夜、眠れないのだ。

サラリーマン時代、とくに脱サラをする直前の数年は生活が乱れていた。

帰宅は、通常21時過ぎ、遅いときは深夜に及ぶことも。
家に着くとまずテレビをつけ、YouTubeを見ながらスーパーで買ってきた割引弁当を水の代わりに発泡酒で流し込む。
食べ終えた弁当がらを脇に置いたまま、2本目の発泡酒を開け、ダラダラとネットサーフィン。
今思えば、さっさと寝るべきだったが仕事にやりがいを見いだせていなかった私はプライベートの時間をできるだけ長くしようとしていた。
深夜2時過ぎ、ようやく布団に入る。ローカルタレントがパチンコを打っているのをしばらく眺め。
3時近くになってテレビをつけたまま寝落ち。そんな生活。

この悪習を断ち切るため
無理を押して、まず朝6時に起きると決めた。そうすれば、夜も自然に眠れるだろうと

携帯のアラームと目覚まし時計の2個体制で挑んだが、意外にも起きること自体は難しくなかった。

問題は布団から出ること。

1月の室温はたぶん1桁台前半だったと思う。
ブルックリンスタイルの広いリビングに憧れて、築30年近いマンションの20畳ワンルームを借りたことが仇となった。
恐ろしく寒い。
寒さと暗さが気分を滅入らせるが、もうこれに関しては気合で乗り越えるしかない。

鳴り響くアラームと目覚まし時計を止め、布団をはねのける。
体を転がしてベッドの端まで移動。足をベッドから下ろす勢いを利用して、体を起こす。
布団をはねのけた際に逆サイドに落ちたフリースを着込み、ブルブル震える手で灯油ストーブを点火。
しばらくストーブに手をかざしながらボーっとする。
ベッドに戻ろうかな、もう30分。せめて日が出るまでは、、、と甘い思いが脳裏をかすめる。
そんな思いを「人から認められたい」、「バカにした人を見返したい」という思いで上書きし体を動かす。
歯を磨きながら、ヤカンに水を入れ灯油ストーブの上にセット。
濃いめのインスタントコーヒーで目を覚まし、なんとか朝活をスタート。

その後、意識的に朝日を浴びるようにしたり、昼休憩にパワーナップ(短時間の昼寝)も取り入れながら徐々に生活のリズムを整えていった。

学びを習慣化

早起きをするようになって
その時間に何をしていたのかと言うと読書。

本を読むのは苦手だったが、人に頼ることができなかった私は、本に頼るしかなかった。
数行を読んだだけで眠くなるし、頻繁にどこの行を読んでいるのかわからなくなる。
失読症かそうでないかギリギリのラインだったと思う。

それでも本は意外と持っていた。心理学や自己啓発、ビジネス書、哲学入門書など。
昔から生きづらさを解消するためのヒントを探していたのである。

その中から
まず、私が手に取ったのが

「1日30分」を続けなさい! 人生勝利の勉強法55
著者: 古市幸雄

前編でも書いたように刺激に敏感という個性の私は、じっと机に向かって作業をするのが難しかった。
しかも、完璧主義なところもあり。できないことに凹み。習慣化できないのである。

この本で気に入ったのは何と言っても30分で良いというところだ。
30分だけなら私でも続けられるかもしれない。
勉強するなら「最低2時間は集中しないとダメだろう」と自分でハードルを上げ、始めることさえできていなかった私の背中を押してくれた。

読書以外にもネットやYoutubeで情報を仕入れて、少しでも為になりそうなことは何でも試した。

その中で記憶に残っている取り組みが「1万回、感謝の言葉(ありがとう)を言う」というものだ。
ありがとうを1万回言うと心が感謝の気持ちで満たされ涙が止まらなくなり、そして奇跡が起きるという。そんな内容だった気がする。

ネタ元はブログだったはずだが、今となってはわからない、、、

半信半疑ではあったが、とりあえず数日続けてみて合わなかったらやめればいいやという軽いノリで始めた。
お経のように「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」・・・と繰り返す。感情はこもってなくてもいいらしい。
始めてみると、ありがとうを100回言うのににかかる時間は1分程度で、この調子なら1万回も意外と簡単かもなとか考えつつ、、200、300と回数を重ねていった。
そして、回数にして700回を超えた辺りからだろうか、なにやら込み上げてくるものがある。
目頭もなんだか熱い。
あれぇ?あれぇー??
ブログではありがとうを1万回言うと、涙が止まらなくなるという触れ込みだったはずだが

ものの10分、1000回を超えたところで、私の心のダムは決壊。

朝焼けを見つめながら、ボロボロ泣いていた。

当時の私の心は相当、すり減っていたんだろう。
「ありがとう」「ありがとう」「ありがとう」・・・と唱えるうちに心が感謝で満たされていく感覚があり。
そして、自分で言った言葉ではあるものの、それがまた自分の耳から入ってくる。
すると、それが他者からの感謝の言葉のようにも錯覚し、不安や孤独感を抱いていた私の心に染みたんだと思う。

このエクササイズの真偽はわからないが、少なくとも当時の私の心は癒やしてくれた。

朝活を始めて数ヶ月。
いろいろ試しながら読書も継続し、積読状態だった本も何冊か読み終えることができた。
まだまだ読んでいない本ばかりなのだが、情報を仕入れるため定期的に本屋に足を運んでいた。そんな折に手に取ったのが「嫌われる勇気」。
自由とは嫌われることだというコピーが胸に刺さり即購入を決めた。

同時期、ショートスリーパーにも憧れ、起床時間を徐々に早くしていった。最終的に23時就寝の2時起床というところまでいったが、結果これはダメ。体が悲鳴を上げた。日中、強い倦怠感に襲われ仕事のパフォーマンスがだだ下がり。すぐに辞めた。

早朝ランニング 2014年5月頃。

日が長くなり、朝起きるのも気持ちいい。
カーテンを開けたまま寝て、日の出とともに起きていた。目覚ましいらず。
この時期に取り入れたのが早朝ランニング。
5:00起床。
6:00、近くの河原に行き、ランニングスタート。
脱サラ以降、家にこもりがちだったので体がすっかりなまっている。早めのウォーキング程度の強度で20分を目標に走る。
車もまだ少なく静かでいい。
ランニングしている人はけっこういる。軽く挨拶を交わす。
初夏の柔らかい朝日を浴び、心地よい風にのって若葉の芽吹く匂いがする。鳥のさえずりや川の音にも癒やされる。気づいたらゴール直前のマラソン選手のように両手を広げて走っていた。デビューしたての市民ランナーが、大げさかよ。と自分でも突っ込みたくなるが、それくらい気持ちいい。自然に包みこまれる感覚、溶け込んでいくようだ。なんとも言えない幸福感。

6:40過ぎに帰宅。シャワーを浴び、7:00から読書などのインプットの時間に充てる。早朝の爽やかな空気のおかげか、集中力が高まり、効率よく勉強できる。
この習慣を続けるうちに、昼間の仕事のパフォーマンスも向上していった。朝のインプットの時間が多少減っても、一日全体での生産性を考えればお釣りが来る。

取り入れて大正解。

満を持して 2014年11月頃。

読書にもだいぶ慣れてきてはいたものの未だに手をだすことに躊躇する本があった。

それが「7つの習慣」 スティーブン.R.コヴィー著。

1年位前に購入したが、買っただけで満足し、そのまま本棚にしまっていた。
かなり分厚い。500ページ超えの本を読むのは私にとってはけっこうなチャレンジ。
また、ハードカバーというのも読書のハードルを上げていた。本を読むとおネムになってしまう私は気楽に寝ながら読めない。
顔に落としたら、怪我は必至だ。

それでもいつかは、読みたいと思っていたのは表紙に書かれている言葉が気になっていたからだ。

「人格主義の回復」

人格主義を提唱している点に、他のビジネス書にはない深さを感じた。目標達成のためには、まず自分の内面を磨き、根本的な価値観を育む必要があるとする考え方が新鮮だった。
この部分は、賛否分かれるところでもある。宗教チックで気持ち悪いと感じる人もいたり、スピード感を求める人には面倒くさくて敬遠されているようだが、私には響いた。

人格を育てつつ仕事などのタスクの目標達成もできるなら言うことはない。

満を持して、読み始めると意外や意外。
スルスルと言葉が入ってくる。
内容がドンピシャで興味あることだったからか、読書習慣のおかげか。
とにかく目からウロコの内容でどんどんと読み進めることができた。

本書は、人間の成長を「成長の連続体」として体系化。
「依存から自立」そして「相互依存」へと移行するプロセスを7つの習慣として段階的に導く。

図参照。

出典:フランクリン・コヴィー・ジャパン

◯ 第1の習慣
 主体的である:自分の人生に責任を持ち、能動的に選択する。

◯ 第2の習慣
 終わりを思い描くことから始める:人生の目標を明確にし、それに向かって行動する。

◯ 第3の習慣
 最優先事項を優先する:重要なことに時間とエネルギーを注ぐ。

これら最初の3つの習慣は、依存から自立への移行を促す。

◯ 第4の習慣
 Win-Winを考える:互いに有益な結果を追求する。

◯ 第5の習慣
 まず理解に徹し、そして理解される:効果的なコミュニケーションを心がける。

◯ 第6の習慣
 シナジーを創り出す:協力して、より大きな成果を生み出す。

これら第4〜6の習慣は、自立した個人が他者と効果的に関わる方法を示している。

◯ 第7の習慣
 刃を研ぐ:継続的な自己改善を行い、他の習慣を効果的に実践し続ける。

この時期の私に、特に響いたのは第1の習慣。

人生において、私たちは大きく二つのタイプに分けられる。
反応的な人と主体的な人だ。
反応的な人は、外部の状況や他者の行動に対して受動的に反応し、流されるように生きている。一方、主体的な人は、自分の行動や態度を自ら選択し、状況に能動的に対応。自分の人生のコントローラーを自分自身の手に持っている人とも言える。
私自身、かつては典型的な反応的な人間だった。
前編で書いたような「刺激に敏感」というのは、まさに反応的な人間の所業だろう。

本書の言葉に、こういったものがある。
“刺激と反応の間には選択の自由がある”

この言葉を見たとき、自分自身のコントローラーを得たような気がした。
ただ、まだこのときは操作方法までは分からなかった。
どんな状況でも選択するのは自分だという自覚が芽生えた瞬間だったかもしれない。

本書では自覚とは次のように説明している。
“自分自身の思考プロセスを考えることのできる能力”

コントローラーを得たものの操作がめちゃくちゃではどうにもならない。
自分のリソースをどこに注力すべきか教えてくれたのが、「関心の輪」と「影響の輪」という概念だ。

関心の輪:私たちが関心を持っているが直接影響を与えられないことの集合
影響の輪:私たちが直接影響を与えられることの集合

反応的な人は、関心の輪に注目しがち。天候、経済状況、他人の意見など、自分ではコントロールできないことに心を奪われ、無力感を感じる。
一方、主体的な人は影響の輪に焦点を当て、自分の行動、態度、スキルなど、自分でコントロールできることに注力する。

私は他者の一挙手一投足が気になり、それに対して気分も一喜一憂する、そんなタイプだった。それこそ何年も前に言われた上司からのちょっとした嫌味さえ頭の中で何度も反芻し、上司と出会った自分の運命を呪い、自分を疲弊させていた。
まさにリソースの無駄遣い。
自分にできる努力をせず、他者や状況のせいにすることにあくせく時間を使っていた。

もちろん、頭の中で癪に障る相手をいくら罵倒しても、あるいは自分の運命を呪ってみても何も好転しないことは分かっていた。私もそこまで馬鹿ではない。しかし、それでもその思考から逃れられない自分がいた。悲劇の主人公にでもなった気分だったのか、ある意味その状況に居心地の良さを感じていたのかもしれない。寂しがり屋のかまってちゃん。自分でも書いていて情けないが、そんな甘えた考えを手放すきっかけを、この概念はくれたのだ。

これらの第1の習慣を知り、実践に移すことで、徐々にではあるが状況や他人のせいにすることが減り、自分のできることにリソースを集中できるようになっていった。

第4以降の習慣は読むだけ読んで、実践はしていなかった。
前編の記事でも書いたように、他者に関心を寄せられるほどの心の余裕はまだなかったのである。

共同体感覚に目覚めるのは、まだまだ先のこと。

続く。

最後にこの頃の共同体感覚の目覚め度を示しておきます。

◯ 他者への関心は、ほぼ自己への執着へ偏っている。
◯ 自己受容・他者信頼・他者貢献はどれも、限りなく0の状態。

自己の執着は他者への関心へ偏るほど、また自己受容・他者信頼・他者貢献の3項目は数値が高まるほど共同体感覚に目覚めてるものとしてます。
あくまで、自らの体感を元にしたもので、正確性を問うものではありませんのでご了承ください。

予告とお詫び。

ここまで読んでいただきありがとうございます。

後編と謳っていましたが、この話まだまだ続きそうです。m(_ _)m

次回 番外編として今回の記事でピックアップした取り組みが、私の中で共同体感覚が目覚めるためにどのように役に立ってくれたかについて書いていきます。

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