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【ドラマ】舟を編む 第五話

五話、じっくりしっとりと心に来た。感覚でいうと、お習字紙に薄い墨が落ちてじわーっとゆっくり広がっていくような感じのお話だったので、2回見た。以前、何回か見て感想を書いたらなんだか感想ではなくて作り込みすぎたわざとらしさが滲んでしまった反省から、一度見てフレッシュな感想を書きたかったのだけど、”じわー”を言葉にすることが難しくてもう一度見た。やはり二度見てしまうと細かな好きな部分にいっぱい気づいて一度目の新鮮さは失われてしまうな。それは残念だけど二度目は二度目の良さがたくさんあったので今回は二度目の感想を書きたい。

五話のお話を全体的に言うと、毎日ひたむきに生きている善良な人たちが抱える傷みたいな感じだろうか。そして相手を大好きだからこそできてしまう傷。それも大きな傷ではなくて、さかむけやペーパーカットのようなとても些細な小さな傷だけれど、常に心を削いでいくような傷。ちょうど昨夜見たさんま御殿でオリンピックアスリートの方々が「大きな怪我よりさかむけの方が痛いです」と言っていたのを思い出す。

初回からずっと小出しで出ていたみどりの母親に対するわだかまりが明らかになったが、正直最初はそれを「そんなことでずっと心にこびりつくの?」とそのエピソードが浅いような気がしてしまった。でも、もちろん浅いのは私の読解力の方で、みどりと母親がたまにしか会えない関係性であるというバックグラウンドを考えると、その小さな思いのすれ違いは一度平行でなくなった二つの線が二度と並行に戻ることがないようにどんどん溝が広がってしまったんだろうと想像できる。辛いな。これは辛いよ。毎日顔を合わせている関係なら日々の関係の積み重ねで過去のちょっとしたズレは忘れられたり新しい楽しい思い出で書き換えられたりするけれど、そうできない事情だったみどりはずっと「嫌われているのかもしれない」という疑念を抱いて過ごしてきていた。それに”毎日会える関係じゃなかった"というのはこのお誕生日の飾り付けのエピソードだけに影響しているのではなくて、みどりと母親、そして姉にも生涯通してずっと影響していたと思う。たまにしか会えないから母親の気を引こうとイタズラばかりするみどりと同じように、母親はきっとその状況にしたことに罪悪感を抱き続けていただろうし、姉も自分は母親と住めたけど妹はそれができなかったということに申し訳なさのようなものを持っていたのかもしれない。みんなみんな優しくていい人たちなのに、みんな悪くないのに、小さな傷を付け合ってしまう。切ない。そのバックグラウンドを考えると、みどりがずっと心に抱えていたわだかまりのエピソードは何てぴったりのスケール感だろうと思った。

一度目も二度目もグッと心に来たシーンの一つに、みどりの母親がタクシーに乗る直前にみどりに紙に包まれたお金を渡すところ。理屈ではなくて、この小さなシーンが入ることでより切なくなった。ここはまだうまく言葉にできないけれど、親あるあるとでもいうのか、離れて暮らしている親は本当に隙があればお金をくれようとする。とにかく心配なんだな。なんとか助けたい、なんとかしてあげたいって思ってるんだな。やばい。これ書いているだけで泣けていた。自分の親を思い出して泣けてくる。

「うむん」のエピソードで「かなしい」という言葉の語釈が出た。

私はRadwimpsが好きなのでその曲を知っていたけれど、きちんと歌詞を読んでいなかったようで「いとし」と読んでいた。ごめんなさい。wimperは知っている読み方だったのだな。洋次郎の歌詞はどれも言葉遣いが人と違っていておもしろいのも好きになった一つの理由で、馬締役が彼にこれから与える影響にも密かにとっても期待している。そしてファンタジーであるけれど馬締洋次郎が私は本当に好きだ。

ドラマ「舟を編む」は一つ前くらいからかなり原作と離れて新しい世界に漕ぎ出している。次回予告編も全くどういうお話になるのか想像できないのでとても楽しみだ。私も小さな頃に辞書の魅力にハマって玄武出版に就職したかったな。

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