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【ドラマ】舟を編む 第四話

今、たった今観た、第四話。すごくよかった。泣いた。気付いたら涙が自然に出てきて頬を伝わっているのを感じた”泣く”だった。気持ちのいい”泣く”だった。

第三話感想を書くためにメモをとりながら2度目視聴をしたのは私のドラマを楽しむという大きな目的をかなり邪魔をしたので、今回はただ画面に向かって傍らにはコーヒーを置いて見始めた。そして感情の赴くまま今、感想を打ち始めている。まず、最初にも書いたが今回のお話は本当によかった。第一話、第二話で感じた胸を熱くするような感動が押し寄せてきた。心が動かされた対象や動かされ方はそれぞれ違うけれど、観た後に興奮して胸が熱くなっている感じはとても似ている。決して第三話がつまらなかったわけではない。第三話はドラマが連続して繋がれていっている波の中の、そういう役割だったのだと思う。静かなじんわりした波。第三話もとてもよかった。そして今回またザッパーンという大きな涙が来た。第四話、とても好きなお話で、これはもうすでに原作から船出をして随分沖までやってきている感じで原作はーということを考えることなくこの「ドラマ舟を編む」として楽しめた。

冒頭の宮本とみどりの大渡海に使用する紙についての話し合いは、新しく着任した担当者と業者の擦り合わせの場面でありながら、自然とドラマを見ているこちらに辞書作りがどういう時間の流れで進んでいくのか、と同時に物語のざっくりとした進み方や現在地点を知らせてくれた。辞書編纂や紙作りにファッション誌のような刹那を切り取って瞬時に出版する世界と違う時間が流れていることに、みどりがもういちいち驚いていないことに彼女の仕事に向き合う覚悟と意気込みの変化を伺えた。ただ、彼女がやっているノート採りは可愛らしいけれども後から見返して見やすいのだろうか?あの高そうな可愛いシールはものすごい量が必要だろうけど、出費は大丈夫だろうかとか余計なことを考えてしまった。宮本とみどりのやりとりは、まったくの新人ではなくなったけれどまだ全然若手の子たちが、自分たちの仕事に真っ直ぐに向き合っている様子を表してくれて眩しい。休みにどこどこに行きたいとかお金を溜めてなになにを買いたいとかが優先順位にあるんじゃなくて、自分に与えられた大きな仕事に興奮している様子。きっと誰にもそういう経験があるんじゃないだろうか。私も入社して1年目2年目に300人を連れての社内旅行計画とか新人研修とか大変だけどやりがいのある仕事をやったことを思い出す。今思い起こすとあんなことやそんなことをよくも恥ずかしげもなくやれたものだと穴があったら入りたい気がしてくるけれど、あの時の自分は一生懸命だった。あの時の自分にはあれが背一杯で、未熟だという事実もブンブン体を振り回して吹き飛ばしながらとにかく前に進んでいた。それから見たら、このドラマの宮本やみどりはなんて人として優秀なんだろうと驚愕する。もし自分のあの時代がドラマになったとしたら見た人全員から総ツッコミを受けて、叩かれまくって、私はきっと外を出歩けなくなるくらい社会的信用を失うだろう。いけない。こんなふうに考え出したら自己嫌悪の波に飲まれて浮上できなくなるので、若気の至りの記憶は特別な箱に入れて鍵をかけておこう。

「かっぱがとっくりを持っている問題」「赤ちゃんが天パーな問題」が持ち上がる図版の件での部内会議もとても楽しかった。回を追うごとに少しずつ漏らされている佐々木さんのプライベートの謎が楽しい。仕事ができて、賢く、謙虚で、セクシーで、そして今回”怖い部分があるのかも”という要素も加わった。原作でもそうだったけれど、このドラマでも登場人物一人一人が別の人間で、別の人生があり、別の過去があり、それぞれにドラマがあることが窺える。私たちは全体の話を進むためにその道をまっすぐ前を見て歩いていってるんだけれど、ちょっと立ち止まるとふわふわの道がぐんと窪んでシューっと滑り台のようになって別の世界に連れていって登場人物誰かのコアな話を見せてくれるような予感がある。登場人物全部の世界を見てみたい衝動にかられる。それだけ全員の人柄がとても好きだ。

図版画家がなくなっていて、その息子さんが修正をしてくれるというお話。「だが情熱はある」でオードリー春日役を見事に演じた役者さんだった。今回もすごく、すごくよかった。淡々としているような中で彼の心情が動いていく様子がとても自然に見えてじわじわと私の胸が熱くなってきて、気づいたら涙が流れていた。なんだろう。どこの演技が、とかどこのセリフが、というのではなくて、あの場面の流れが胸を熱くさせた。今、動画編集に興味を持って少し趣味でやっているのだけど、私がぶち当たっている壁が素材動画や素材写真の画角。人間の目って素晴らしくて、普通に見ているようには決して撮れないという事実。このドラマを見ていて、場面の流れがとても自然に感じられるのはきっと、場面場面の撮り方や繋ぎ方がまるで目で見ているようにできているのと、それに加えて実際に見ているよりもどこかがデフォルメされたり編集されたりして見る人を見せたい方向へ促しているからだろう。セリフ、演技、撮り方、編集、音楽、全てが織り重なって見ている人に自然に涙を流させたのだろう。そういえば馬締が写真ではなくてイラストにする理由として写真よりもイラストの方が伝えたいことが伝えられることがあるから、と言っていたけれど、それにも通じることだと思う。

みどりは一話目から母親との関係に悩んでいるようで、予告編によると来週その問題が明らかになりそうである。今回四話では、相手に好意を持っていることを伝える二文字を言ってもらいたい相手、伝えたい相手として話に出てくるが、図版画家の息子さんもきっと同じだったんだろうなと思った。父親の方はそういう気持ちではなかったんだろう。自分の中で息子に対する愛情を感じるだけで完結できるタイプだったんだろう。そういうタイプって伝えて欲しいとも思わないんだろうな。だからそういうタイプの人は言われなくても自分で持ってるだけで幸せを感じられるんだろう。自分で色々完結できるタイプの人は羨ましい。息子さんはそうではなかった。言って欲しかったんだと思う。伝えて欲しかったんだと思う。好きだよ、大事だよって。言われないということは肯定も否定もされていないってことで、息子さんは希望だけは持ち続けていたんだと思う。悔しいから認めたくない部分がありつつもきっと自分は愛されているはずだという希望は胸の奥にずっと潜んでいたんだと思う。結局は同じような仕事に就いて同じような生活を送っているのを見ても父親をリスペクトしているんだけどそれを真正面から認めることはそれまでの自分の寂しさを裏切ることができなくてできない。それは彼の「こだわり」だった。そして、今回何も言ってくれなかった父親に変わって辞書編集部に残っていた父親の図版がそのこだわりを少し解けさせてくれてよかった。今書いていて思ったけれど、「こだわり」と、「わだかまり」は少し音が似ている。こだわりによって生まれたわだかまり。しっくりくるけどこの二つの言葉に何か関係はあるんだろうか。

第四話、とてもよかった。野田馬締は本当に好き。シャツをインしている野田洋次郎はプレタポルテをきた洋次郎より好きだなぁ。元々言葉にこだわりがあって人が度肝を抜かれる歌詞を書く彼だったけれど、今回馬締をやったことで何か影響はあるかな。それにしても役者さんたちって素晴らしい。みなさんそれぞれ他の番組とかで見たことある人たちだけれど、このドラマを見ている間はこのドラマの世界にビューンと連れて行ってくれる。とても良い作品をありがとうございます。


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