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本質的な人生にむけて。

明日は、兵庫から福岡に移動します。

先日私がこうして動き続ける理由を書かせていただきました。

多くの人が今の状況の終息を待ち望んでいますが
感染爆発をさけるためには結局のところ
免疫を持った人が増える必要があり
それまでの期間は何度もこの状態を繰り返すであろうことは
目に見えています。
もちろんそういうことにならないことを私は願っていますが
完全に終息ことは難しい状況で
生活はもちろんですが、様々な正しいとされている考え方も
現実的な考え方に変わっていくでしょう。

そのタイミングで私はお伝えしたいことがあります。

久しぶりの福岡で、そのような話も含め深めることができることを
身の引き締まる想いの中、愉しみにしています。

開催するサロンのオーナー鵜飼秋子さんが
バトンのことを紹介してくれています。

まず先に、初めて会ったときの感想もありましたので、その感想と
バトンについてをお読みいただければと思います。

私にこうして関わってくれている人
本質的に深めている人の多くが
社会の中でリアルに人と関わり問題に向き合ってきた人たちです。

一部上場企業の科学部門トップの役員。
一部上場企業の役員秘書。
最大手証券会社勤務経験者。
舞台芸術家。役者。
障害や介護のエキスパート。

などなど…

彼女も先月まで長年…市役所で働いていました。

そういう方々が
今までの知識や教養を深めるために
本質的に向き合っているのではなく
人生の上で、
そういう体験が、目指すものではなかったということを
知るために訪れています。

けれどそこに否定はなく
そのそれぞれの体験を、必ず通過しなければ
本質というものは観えてこないということを
知るために訪れてくれています。

これは、特別なキャリアを通過しなければ…ということではなく
その人の本質が常に動き続け、
本質が人生の選択をしていることを
その通過した出来事を見れば読み解けるということ。

だから、半数以上の方は、(本人曰く)ごく普通の主婦の方々やOL
そして精神的に病んでしまっているような方々です。

ほとんどの人が、人生の選択を
本質的なこととして見ることができないため
いくら選択をし続けても、どの選択が本当の自分らしい選択(本質的な選択)だったのか…ということを掴むことができず
迷い葛藤をし続けています。

その葛藤に終止符を打ちに
本質的な叡智のバトンに参加し深めています。

その先にある、
自分自身の人生を、
本当の自分自身の選択で歩むこと。
そこに観えてくる、自分自身のオリジナルな人生の深淵さを感じたい。

それを感じた先に、
人生を信じるというフィーリングは訪れるから。

ま。こういう表現を文章ですると
すごく難しく捉えてしまうのでしょうけれど…

バトンの参加者は、12才から80代の方までいらっしゃいますから
小学生でもわかる言葉で話します。専門用語も一切ありません。
ただ、下の感想にあるように、わかる言葉なのに… 
言われている内容もわかるのに…
何も考えられなくなる。

そういう体験が、ほとんどの方に訪れます。
そして、ほとんどの方が帰るときには
「そらさん…何もわかりませんでした。」と言いますが
私は「良い感じ♪」と笑いながら送り出します。
そして、翌日気がつきます。

自分じゃないものが外れていることを。

文章では説明ができませんから私は
こうして感想などを載せさせていただきます。

当然のことながら、全ての人にオリジナルな本質が動いていますから
同じような体験はしません。

だからこそ、
自分はどのような体験なのか…を愉しんでいただけることを願っています。

あなたの人生は、あなたのものですから。

下の【別れって何?】の中に

『人を想う
それは、わたしの中に人がいる、そういうことだと思います。
わたしの中に人がいなくなる、
それが本当の別れであり、孤独なのかもしれません。』

そんな言葉がでてきます。

様々な考え方が今、表面化していますが

そのほとんどが、

孤立の方向性に進む考え方のように感じるのは…
私の気のせいであってくれることを願っています。



あなたが、寂しいのは

認めてくれる人がいないから
 
ではなく
 
あなたが、大切に想う人がいないからです。
 
あなたの心の中に
 
相手が居ないからです。



そら:山本 博





【別れって何?】2018年11月 鵜飼 秋子

福岡で開催されている「本質的な叡智のバトン」に参加しました。


「バトン」とは、ひとくちに説明するのは難しいけど、

カウセラーのそらさんが全国を回って開催している対話の場。

ほとんど悩みがないように見えるこんな私にも、20代の頃からもう、ずっと悩んでいることがあります。

それは、おおまかに言うと「自分がわからない」という悩み。
ありのままの自分を受け入れなさいと言うが、
まず、ありのままの自分って何?みたいなことです。
その問いに、「本質的な人生」という視点を与えてくれたのが、そらさんだったわけです。

会って最初にそらさんが言ったのは、
「本当は、もう言ってしまってもいいけど、
それじゃあ、あなたが実感できないだろうから、まだ言いません。笑」
それが、自己紹介し終わって10分後の話。

それから、私はとにかく自分が確認しておきたいこと、
よくわからないことを

そらさんに尋ねまくりました。
そらさんは、それらに全て答え、「じゃ、また明日」となりました。

帰ってみると、とにかく頭が疲れていること、
それと別に、身体の感じたこともないような部分が
ほぐされているような感覚があります。
…もしかして、癒されてるの?

そして、次の日の朝、目覚めと同時に実感してしまったのです。

「わたし、人間関係がわからないんだ・・」

それはもっと言うと、「関係性」が必要だと思えない。

妻である、恋人である、子どもである、姉である、妹である
上司である、部下である、同僚である、友だちである、親友である
劇作家である、演出家である、俳優である
もっと言えば、女である・・まだまだ沢山。

もちろん社会においてどういう役割なのかは理解しています。
そういう関係性において当たり前なルール、例えば、

恋人同士は好き合ってる、デートをする
目上の人には敬語を使うとよい
友達はお互い共通の話題があるとラク、とか

まあ、この他にも複雑な関係性によって、
無数に、微細なルールがあることも知っていますし、
さも正しそうな顔をして逸脱を禁止するルールがあることも知っています。
そして、その役割を、ルールに沿って振舞うこともできますし、
役割に必要とされる行動をとることもできます。


ところが、私は、実際、そういう関係性で人を見ていない。


出会った人たちは、みんな「人」です。
関係性の中にいる役割じゃない。


本当は、その人がどういう「人」なのか、いつも興味深々で見ています。


なぜ、自分がわからない、のか。
それは、いろんな役割を演じる顔、
複雑な人間関係の中に自分を見出そうとしていたからです。


具体的に、役所で働く私と演劇人の私、家族の中にいる私、
そしてその私が関わる人間関係があまりにも違いすぎて、
そのギャップをどう調整したらいいのか戸惑ったこともあります。

20年ほど前、わたしが演劇を始めたころ、「関係性の芝居」というのが流行っていました。
私も、その「関係性」をベースに台本を書くことを覚えました。
時には、複雑な人間関係を描き、その関係性の中で起こる心の機微を描いていました。
でも、そこで起こる出来事は、私の場合、いつも一緒。

大切な誰かがいなくなってしまう。
そのことが強烈に寂しい。
関係性のもつれにより、大切な人が去り、別れてしまうわけですが、
残された人物は、その人のことをずっと想っている、そういう芝居です。

関係性を作り出す、それが芝居だと思い、
関係性を描く、それが作家だと思っていたわけです。


でも、本当の私は、関係性や役割などで、人を見てはいない。
その証拠に、私の見る世界に「別れ」はありません。


人生において、別れを経験したことは何度だってあります。
でも、別れとは本当の意味においてなんですか?

ただ、どちらかが、もしくはお互い、もう会わない、と決めただけでしょう?
もう連絡をとらない、そう決めただけでしょう?
いつも会える環境でなくなっただけでしょう?
距離的に今よりも遠くにいることになっただけでしょう?


それは、「別れ」という名の単なるルールと条件です。

旦那さんと死別した人にすら「別れ」が存在しないのだと感じたことがあります。

その方は、ただ、いつも、旦那さんを想っていました。
私に、旦那さんのことをたくさん話してくれました。
まだまだ、旦那さんについて、新しい発見をしているようでした。
その様子はとても幸せそうでした。

人を想う


それは、わたしの中に人がいる、そういうことだと思います。
わたしの中に人がいなくなる、それが本当の別れであり、孤独なのかもしれません。


”あなたには、人に対して「嫌い」という感情がない。
その反対に、「好き」もないわけだけど。


あなたには、人に「興味がある」それしかないって言っても良い”

そう、そらさんは私に言いました。
驚きましたが、それは私にストンと落ちました。

私の見ている世界とは、何も特別な世界ではありません。
わたしの目の前に広がる、この世界のことです。

本当は、まだまだ、そらさんから言葉をもらいましたが、
それらは、おいおい・・。
ちょっとボリュームがあり過ぎて、ページに書ききれません(笑)

でも、そらさんの言葉は、確実に私に生きる指針を与えました。


とにかく、これからは人生について、書くことが増えそうです。

鵜飼 秋子


【そらさんとの出会い 】2020年4月12日 鵜飼 秋子

4月14日から福岡・北九州の私のサロンで開催していただきます

本質的な叡智のバトンとそら:山本 博 さんについて
(複数日参加も1日のみの参加も可能です)
ご紹介したいと思います。

私が、そらさんにはじめてお会いしたのは、2018年11月でした。

その頃の私は、特に大きな悩みを抱えているという訳ではありませんでしたが、何につけても、モヤモヤとした感覚がずっとありました。

世間で良いとされていること

例えば、努力する、とか

自分を磨く、とか

快適な生活をする、とか

趣味を持つ、とか

自分なりに一生懸命やっていたつもりでしたが、

「これって、どこまでやったらいいんだろ」

という感覚があり

確かに、様々なことを一生懸命やることで、何か結果が出れば、その瞬間はとても嬉しくなくなりました。でも、一晩寝てしまえば、次の日の朝は嬉しさはどこへやら。

その瞬間の高揚感は、すぐに吹き飛んでしまい、また次の努力へと向かわねばならない感覚でいました。

それは、モヤモヤ感として常に感じていましたが

世間にはモヤモヤを晴らす、答えのようなものはありませんでしたし

「きっとみんな、そんな感じで生きてるはずだ」

と自分に言い聞かせるのが関の山でした。

今、考えればそのモヤモヤを
私は、息苦しさ、世間に対する閉塞感、生きづらさ
として感じていたのだろうと思います。

ちょうど、離婚をしてすでに3年ほど経っていました。

私は
家族というものへの憧れを常に持ちながらも

”家族を持ちたいと願うのは当たり前”

とする社会的価値観にも疑問を感じていましたし
だからといって”一生独身を貫く人生もアリだよ”
とするそれもやはり価値観。

自分としていずれかの価値観を選択して
それを「良し」とするかどうか
そういうことしか世間にはないのか?

そんな疑問を感じていたように思います。

でも、疑問を感じるのはいいんだけど・・・

結局、自分はどうしたいの?

家族に憧れてるのに
結婚するとか、しないとか
子供を持つとか、持たないとか
そういうことにはこだわりたくない

けど、こだわらないのなら
一体、何を頼りに生きていけばいいの?

そんなこと言いながら
結婚するとか、しないとか
子供を持つとか、持たないとか
そんなことばかり自問自答してるじゃない。

結局、こだわってるんじゃない。

でも、自問自答は自分で乗り切らないと
結局どうにもならないんだろうしなあ。

よく「自分と向き合え」っていうけど
これでも向き合ってるつもりだけど
自問自答を繰り返すなら
向き合い方が足りないのかもな。

そう、思っていました。

そうこうしているうちに
とある「問題」が繰り返し勃発しました。

その問題は
結婚や出産の選択にも関わる問題でしたが
なぜ、そんな問題が繰り返し起こるのか
私の努力ではその問題の発生をどうにも回避しようがなく
もうある意味、作為的としか思えないほどの繰り返しぶりだったため

「これはもしや、私の知らない何かがあるのでは?
なんていうか…社会や世間では全く言われていない
真理 みたいなものがあるんじゃないの?」

そう思いはじめたころ
そらさんのブログに出会いました。

そこに記されていることは
はっきりいって、わかりませんでした。

でも、世の中の誰も言っていないことがここには書かれている気がする、
そう思って、読み漁ったのを覚えています。

次の瞬間、私はそらさんに連絡をとりました(笑)

どうして見ず知らずの人に、すぐ連絡をしようと思ったかはわかりません。

でも、していました。

そして、そらさんは福岡に来てくれました。

そらさんは、東京、兵庫、島根と、全国に3つの拠点をお持ちですが、必要とする方がいれば、拠点以外の場所にも来てくださいます。

驚くべきことに、交通費も宿泊費もいただかず。

その場所で本質的な叡智のバトンを開催し続けています。

その全体像を説明するのは、不可能です。

それは、もう何度もそらさんにお会いしている今でも、できません。

できないながらも…
私の初対面のときの体験をお伝えしようと思うのですが。

その日のバトンは、
私とそらさんと、あともうひと方が参加されていました。
その方は、全国で開催されるバトンに参加し、
旅をし続けているという方です。
ですから、そらさんにはじめて会う人、というのは私のみでした。

私は大変緊張していました。

自分で会いたいと連絡をとったクセに、2週間ほど前から緊張しお腹の具合を壊していた気がします。

「ゆるゆるしてってくださいね~^^」

と、そらさんが言ってくださったものの
ソワソワし、きょろきょろしていたと思います。

「なんかありますか?なんでも聞いてください」

と、そらさんが言い、私は、緊張しながら

「これって、なんでこうなんですか?」
「これって、なあに?」

みたいな
なぜなぜ坊やのような質問を沢山しました(笑)

その時は自覚していませんでしたが
その質問は、モヤモヤに関すること
私が世間に対して感じる疑問だったろうと思います。

そらさんは
その質問のすべてに、明確に答えてくださいました。

私の知らない世界

私が知っているようで実はどう動いているかよくわからない世界

社会では当たり前のこととして語られている世界

たとえば、経済のこと

たとえば、社会構造のこと

たとえば、人間関係のこと

たとえば、神様や魂のこと

近きにせよ、遠きにせよ

様々な世界のことを

私が尋ねればお答えしてくれましたが

私がよくわからない言葉や概念や仕組みで
説明されることはありませんでした。

私は、なぜなぜの質問がひとしきり終わってから
今度は、自分自身が直面している「問題」についても質問してみました。

そらさんは
その質問のすべてに
具体例を出して
実在する方の人生の話をしてくださいました。

ただ
問題について、その対処方法を導こうとしたりはしませんでした。

私は、実在する方のお話を具体的に聞くにつれ
次第に、一体自分は「問題」の何を問題としていたのかわからなくなりました。

それよりも
本質というものが、本当にあること。

本質というものに向けて
出来事が起こり続けていること。

一瞬という出来事の連続によって
人生が形づくられていること。

本質を実感しながら
人生を選択していくこと。

そのことを、もっともっと知りたい。
自分も体験してみたい。

そう、思うようになりました。

その日は頭がボーっとしていました。

とても不思議な感覚で
今まで、味わったことのないような真っ白な感じでした。

次の日の朝、起きてみると
ハッと気が付くことがありました。

ふたたびバトンに参加し
ハッとしたことについて話をしてみると

「そうですよ~^^」と、そらさんはニッコリしました。

それが
はじめてそらんさんにお会いしたときのこと。


私は、後日こんなメッセージをそらさんに送りました。

”そらさん。先日の感想、書いてみました。
ちょっと、あのボリュームのうちのほんの一部しか書ききれなかった(笑)全部を書くのには一生以上の時間が必要です…”



バトンの全体像を説明するのは、不可能です。
それは、もう何度もそらさんにお会いしている今でも、できません。

そこで、語られることは
私たちが一生という時間をかけても知りえることのないほど膨大なものだからです。

そこで、語られることは
情報ではありません。

そこで、語られることは
答えでもありません。

そらさんは
そこに参加されている方々ひとりひとりに向けて
必ず届く言葉で語ります。

ですから、誰にでも理解できるよう
文字化できる
真理 というものとも違うのです。

参加する人、その人が参加する時期によって
語られる内容が全く違います。

ですが、そこで語られることは
全ての人に存在する「本質」のことであり
全ての人の人生に起こり続けていることなのです。

私たちが、全く気づきもしないだけで…

そらさんは、いつも
目の前の方の人生を全力で後押しする
そのシンプルな想いで全国を移動しています。

そらさん自身のメリットなど
一度も感じたことはありません。

だから、交通費も宿泊費もいただかずに

たった一人の方の求めで、全国を動くなんてことが
できるのだろうと思います。

私は、初対面のときに限らず
バトンに参加するたび発見することがあります。

一度のバトン参加で一生以上なのですから
一体これまで何生以上の体験をしてきたのでしょうか。

私は
あなたにも
この体験をして欲しい。


それは必ず
あなたも一生以上の体験をするということを知っているから。

そらさんがバトンで語ること
それを記すことはできないけれど
もし、少しでもお知りになりたければ

最後にそらさんの記事をシェアしています。
「とある少年に向けて。」と題されています。

” 真理…

 こういう言葉は使いたくないのだが

 真理というものを

 何かしら知りたいと願うなら
 伝えたいことがある。” (抜粋)

バトンではそこに参加されている方の人生に必要なことしか語られませんから、この記事のような話を滅多にきくことはありません。

そらさんはリアリストですから。

ですから、
あなたが出会ってみて、はじめて、そらさんを感じられると思うのです。

それでも少しでも

そらさんのことを知っていただければと思います。

私は

早く、そらさんと出会って欲しい。

次は、あなたが
本当の人生を体験する番だと思うから。

鵜飼 秋子

https://profile.ameba.jp/ameba/fuwarikotonoha/


ブログ:人生のグランドデザイン
https://profile.ameba.jp/ameba/sora-ni


note:私《そら》について
https://note.com/sora_ni/n/n773d4f893f4d


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