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泣いた。



きっと…信じられないかもしれないけど


より良い仕事を探したことがない人が
幸せに生きていて…

時給をあげようとしていない人が
幸せにいきていて…

人に騙されたことに気がつかないような人が
幸せに生きていて…


きっと、信じられないかもしれないけれど。



確かに、お金は生きる上で必要で
確かに、少しでもより良い暮らしをしたいのはわかる。

私自身も、間違いなくそうで。


でも、お金で、安心も安定も
実は買えない。


問題を起こらないように防いでいても
問題は、起こる。


私は今、東京南青山のスペースにいる。

明日、兵庫の芦屋のスペースに移る。

そして、福岡の友人のサロンに滞在して
その後は、出雲のスペースに長期滞在する。

もちろん、その後には、横浜の自宅に帰るわけだが
その全てが快適で、何の問題もなくて…


こんな不安定でやれるはずもない活動を
12年以上続けている。

確かに、お金は生きる上で必要で
確かに、少しでもより良い暮らしをしたいのはわかる。




私たちを本当に幸せにしてくれるのは

何だと思う?



そんな当たり前なことを、問いかけたくなる。



人と関わることは、楽しいことばかりじゃない。

会話が弾むことが関わりじゃない。

優しい人との関わりが関わりでもない。


あなたが、
人との関わりに疲れ果てていることはよく知っている。

あなたが、
相手のどこを認め、自分の何を主張すれば良いのかが
わからないことが苦しいのもよく知っている。

そんな関係なら、人と関わらないほうがいい。
そう思うことも、間違っていない。

確かに、今のほとんどの関係は
疲れ諦めていく方向にしかない。



でも、そうではない人がいたらどうだろう。

そういうこと…

共通の喜びがなくても、
空気が読めなくても、
あなたのことを心の底から…
知ろうとしてくれる人がいたら…どうだろう。


そんな人たちが

たくさんたくさん、幸せに生きているとしたら
どうだろう。



より良い仕事を探したことがない人が
幸せに生きていて…

時給をあげようとしていない人が
幸せにいきていて…

人に騙されたことに気がつかないような人が
幸せに生きていて…


きっと、信じられないかもしれないけれど。

そら


また、紹介したい文章(体験)がある。
その前に…少しだけ私のこと。

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私にもこんな経験がある。


デザインプロダクションを経営している時代
H堂フォトクリエイティブに頻繁に出かけていた。
そこは、カメラマン・スタイリストなど撮影のプロ集団なのだが
その中でも特に好きだったのが、暗室(モノクロ写真を現像プリントする部屋)だった。

そこには、年配の熟練の方々がたくさんいた。

私の細かな注文に文句を言いながらも、期待以上のクオリティに仕上げてくれた。


自慢げな笑顔が…今でも忘れられない。

そのアナログすぎる技術は、私の憧れでもあった。

そんな関わり合いの中で、仕事を進めてきたわけだが
突如として、コンピューターが私たちの仕事に導入された。

私がちょうど、会社とは別でH堂にもデスクがあった頃
H堂(日本No2広告代理店)の中でもゲームくらいにしか使っていなかった飾り物のようなものが
突如として仕事の中心になった印象だった。
そのコンピューターでデータを創ることが前提として一気に仕事が変わった。

そんな時代の流れで、多くの職人的技術者が仕事を追われた。

そのやるせない思いを、神田の行きつけの割烹料理店のカウンターで呟いた。

その時… 少し離れたところに座っていた年配の男性が
「甘いよ。時代に取り残されているのが悪いんだ。」そう呟いた。


私は、泣いた。


悲しくてではなく、悔しくて泣いた。
そういう人が、いることに泣いた。

(ちなみに私は、幼少期からの人生で5回しか泣いた記憶がない。その中の一回になった体験だった)




今の活動を始めて初期の頃だったと思う。

ある民家をお借りして、たくさんの方々に語っていた時のこと
その家の80歳は過ぎているであろう…おじいちゃんと話す機会があった。
そのおじいちゃんが元気がないことを気にして

お嫁さんが私に相談してくれたことで
話す時間ができた。

そのおじいちゃんは、若い頃から宮大工として働き続け
最近、年齢的な問題で引退をしたばかりだった。

おじいちゃんは脇目も触れず、仕事一本で生きてきた。
今、仕事をやめてみて自分の居場所がないことを感じていた。

何もやらせてくれない… 。
陰では「おじいちゃんは、家のこと私たちのことを何もしてくれなかったから。」と言われている。


おじいちゃんは絶望していた。

何のために頑張ってきたのか…と。


宮大工という仕事をしていただけあって
穏やかで真面目で…私からしたら素敵な存在でしかなかった。


私は生意気にも、おじいちゃんに人生の話をした。

そして、何に意識を向けるために私たちは生まれてきたのか
などという話をしたように思う。

おじいちゃんは一言、呟いた。


「私にもまだやることがあるんだねぇ…。
 ありがてぇな…

 ほんとうにありがてぇな… 」と。


私たちはなぜ、こんなにも結果を出せている人を
素晴らしい人だと思ってしまうのだろう。

結果を出せなくなったら、その人から興味がなくなるのだろう。

なぜ、時代の流れに乗れる人が価値ある人で
流れに乗れなかったひとは、価値がないように感じているのだろう。

なぜ、流れに乗れない人を
努力が足りないようなレッテルを貼るのか。

センス…こだわり…美学…スタイル…

様々なものがあることが、人として価値があるように
思われてしまうのだろう。


私には、全く理解ができない。


それは、ものすごく…狭い世界だと感じてしまうから。


人生というもの。


一人ひとりに人生があることを
忘れてしまうほど、私たちは何も見えなくなっているのか。

価値…

価値が得られるか得られないかなど

人生には関係がない。

もっともっと深いもの。



その人生を知らなければ、常に価値に巻き込まれ
さらに自分を、相手を…見失ってしまう。


私には、そうならないで居てくれることを願うしかできない。


今回の東京での本質的な叡智のバトンに参加してくれた方が
自分の経験を語ってくれている。

もう一度、相手を想うというシンプルで当たり前なことに
戻っていただけますように紹介をしてみる。

相手を想うことと
利益を得ることは、

全く別のこととして人生で体験するのだから。

IMG_7173のコピー

【 希望 】下記ブログより
https://ameblo.jp/n-setsuko/entry-12587217973.html


わたしの両親は秋田県から東京にでてきて事業を営んでいました。

実家は農家、親戚たちの多くも農家で貧しかった。

上京して建築関係の仕事に出会います。

最初の頃は自分が稼ぐために始めたけれど

これは稼げると感じ仕事を大きくしていきました。

その当時は建築業が急成長していた黄金時代。

どんどん仕事を増やしていき会社を経営するまでになって。

田舎の親戚たちが仕事をしてお金を稼げるようにと

宿舎を建てて呼び寄せて。

まかないさんも縁故ある方の出稼ぎでした。

両親はその人たちの家族が問題なく暮らしていけるように。

そう願っていました。


父はいつも早起きで、働いているみんなが起きる前に宿舎へ行き

毎日休まず現場に送り出していました。

事故がないように…

怪我がないように…

病気がないように…

いつもいつも体のことまで気遣って。

命を預かっているという感覚で休日も様子をみに行き

気を抜ける日がなかったようです。


事業をしていると、必ず厳しい状況というのがあって。

当然仕事がないときもある。

そんな時、働いてる人たちが実家のお庭の草むしりをしに

きていることがよくありました。

幼い頃はそれがどういうことかわってなかったけど。。

働きにきている人たちを休ませると、お給料が渡せない。

その人も、その家族も苦しい。

だから、形だけ働いてもらってお給料を払っていた。

そうやって家にきた時は、近所のお蕎麦屋さんの出前をとって

みんなにカツ丼を食べさせてあげていたな。

余計にお金がでていくことなのに。。。


資金繰りが苦しいときは、

銀行から借り入れるということももちろんしていたけれど

いますぐお金が必要なときは、質屋でお金を融通することもしばしば。

事業が潰れるかもしれないという危機感とはいつも隣り合わせで

苦しい状況を何度も超えてきた。

秋田にいる家族のためにと上京し一生懸命働いていた人たち。

雇う側の両親も、働いてる人たちも、

みんな誰かを想って一生懸命だった。


その先にもまた他の誰かがいることを当たり前に知っていた。

わたしはそういう姿をみて育ち

幼いながらに人と関わることを当たり前に感じてきたように思います。


この厳しい社会の中で、

誰かを想い頑張っている人たちはたくさんいる。

それは今のこの時代だって変わらない。



今滞在している東京青山を歩いていると

「 コロナの影響によりしばらく休業します 」

という張り紙があったりして

閉まっているお店が目に飛び込んでくる。

この辺りは家賃も高いだろうに… 一ヶ月だけでもすごい金額になる。

それがいつ終わるかわからない状態。

家賃が払えなくなったら…ということが脳裏をよぎる。

そこに携っている人たちのことを考えると胸が苦しくなる。


他にもこの社会に適応できない方々や動けない方々

OL時代に身を置いていた旅行(観光)業界の方々…

医療現場の方々…

中小企業や個人事業主の方々…

ここに書ききれない様々な方のことが頭に浮かんでくる。


そして、今たくさんの方々の人生を身近に感じていて

手に取るように…厳しい状態を理解できる。


これまでも大変な状況というのはあったと思うけれど

今、これまで感じたことのない厳しい現実が押し寄せてきている。

だって一握りの人のことだけじゃない。

世界中・日本中が混沌としていて連鎖していくのだから。

多くの方が、出口がみつからない…

八方塞がりな閉塞感の中にいるのではないかと思います。


先の見えない不安。

みんながどこを向いて良いかも

何を信じればいいかもわからなくて…

きっと何もみえなくなっている。


ついていけない人はどんどん切り捨てられて

時代の流れだからと簡単な言葉で処理されてしまう。

なぜだか、その流れに乗った人は優秀で、

乗れない人は価値がないように言われていることが悲しい。


そんなところに、自己責任…なんて言葉を正しいように使っていることに

気がついていないことが苦しい。


ひとりひとりに人生があるということが置き去りになっている気がして。

お金だけが安心の源となり、

誰かの人生に起こった成功の法則を求めていく。


そこにあるのは…

相手の人生を感じようとしない希薄な繋がりのように感じます。



何よりも、想いの上に立っている人たちが

この厳しい現実に押し潰されてしまうのではないかと思うと

心配でたまらない。


誰かを想って純粋に頑張っている人たちがいる。

そのことを

わたしは意識から外したくない。


あなたが本当の人生というものを知ること。

そして本当のあなたを知ることができたならば

あなたは影響を受けることなく人生を歩むことができる。


これは、理想ではない。


そんな人生を私はたくさん見てきたし

私自身がずっとその中にいる。


きっと、多くの人は、

相手のことを思っていると影響を受けてしまうシーンしか見ていないのだと思うけど

それは、人生の流れが見えていないときの話。


あなたは、自分の本当の人生の流れと

経済の流れと・・・

どちらを知った方が、しあわせになれると思いますか?


影響を受けない人生が

想いの先にある広がりが

どれほどまでに繋がりが深く温かいものかを感じることができれば

あなたにきっと希望が蘇る。


私には、あなたの厳しい現実を変えることもできないし

こんなことを書いても何も届かないことはわかっていても

どうしても書かずにはいられなくて。


本当に大変な人たちは

このブログを見ている人にはいないだろうけれど…


安心・安定の先に幸せがあるんじゃない。

どんな環境であろうと、今幸せを感じることができます。


自分らしく生きることも…人生も…

諦めることしかできなかった人たちが

幸せに人生を歩んでいく姿をたくさんみてきたから。


『 人生を信じる 』


それは、良い結果を待つことではありません。

それを作ることでもありません。

そんなことをまた書いてみようかと思う。

Setsuko



ちなみに、こういう経験を書くと
優しい両親に育てられ、その優しいところを見て育ったから
こんなことを感じられるんだね。

なんてコメントをいただいてしまいそう…。

父親は、酔っぱらうとクダを巻き
母親は殴られたりしていました。
兄弟も、なかなか偏屈な人たちで正直大変な思いをしました。

でも、自分が受けた被害や良い家族かどうか…なんてことよりも
私は、その人を感じたかった。

だから、私は、家族のことよりも従業員を大切に思って
家族のことを振り向かない父を人として尊敬していました。

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