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無に向かう時

欲しいと思うこともできなくて
楽しいとも思えず
ワクワクするような何かも見つけられなくて
これを人は失望感とか絶望感とか言うのだろうけど多分これは

無に向かう

なんだろうなと
何となく思ったりした

求めても手に入らないもの
実態の掴めない何かを求め続けた結果
なのかもしれないけれども
俗に言うネガティブともまた違って
とてもスッキリとストンと心が質されるような
かといってポジティブでもなく
そう

中庸

とでも言うのだろうか
諦めすぎた結果というよりは
足掻くのを辞めたというか
もうそのチカラさえも沸き起こらない
とにかく無であって有ではない

とはいえまだ肉体はこうして生きていて
活動は続けなくてはいけないから
それなりに生きるという事を継続はするのだが
だからなんなんだと言われても

独り言ですごめんなさい

としか言えないのだが

こういうのは
迷惑でもあるのだろうね

昔の詩人のように空を見上歌を詠み茶を点てる
そんな生き様が許される世なのであればいいのだけれど、それは許されないのだから
何かしらの活動は最低限しなくてはならない


生きてるのか
生かされてるのか
とにかく
生命活動が止まるまでは
車椅子だろうが言葉が伝わらなかろうが
生かされるのが今の世のルールだから
100歳にもなって自立歩行もできない
昼と夜をただ繰り返し
人様の世話になり生きているような姿を見かけると、なんという苦痛なのかと気の毒に思ったりもするがそれが当人の意志とは関係なく
周りが幸せだと思い込むことで成り立つというのならばそれはそれでいいのかもしれないが
誰かが誰かの希望や要求を叶えるために犠牲になる誰かが居ることを常に忘れてはいけないんだななんて思ったりもして。

そうならないようにと思うと

無に向かう

という方向性になるのだろうが
これを決断するには
ある程度若い頃でないと欲が強くなるから
無理なんだろうななんてことも同時に思ったりもする。


月と木星をナイトモードで撮るも
ブレるために妖しげになる
上手くいかない感じが
私らしくて良い気もする


愛してみたかった人もいたような
雲を掴むような幻だったんだと

あの人は覚えているだろうか
あの日した約束を…



ずっと見ていられる
地上420kmから眺める地球

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