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「私が浄霊を受けた体験」から考察する、心理療法と浄霊(スピリチュアルワーク)の接点

※今回は前回の記事の続きです。息子の浄霊が終わってから、霊能者さんから私の浄霊をおもむろに勧められたところから話は続きます。

好奇心から浄霊を受ける

私は、スピリチュアルの分野を研究、探求するのが好きな質なので、霊能者さんから浄霊を勧められた時には、不安や警戒心というよりも、好奇心が勝り受けました。

その手順としては、まず目を閉じて椅子に座ります。そして、おもむろに浄霊師さんが私に憑いていると思われる霊に話しかけます。話しかける手順は息子の時と同じでした。

霊能者:「あなたが無くなったときは自殺?他殺?病死?事故?」と私に憑いていると思われる霊に死因を一つづつ聞いていきます。

すると、私は無言なのですが、力を抜いていると何となくうなずいたり、首を振ったりする反応を示します。

自分の意志で動かしているよりは、自然に動いているような感じでした。

自分の意志というよりは、自然にそのように頭が返事をするという感覚でした。

そうやって、霊に話を聞いて、yes,noという形式でその霊が生前どのような形で亡くなったのかを明らかにします。

そのうちに、私自身の空想なのか、妄想なのか、はっきりしない感じですが様々なストーリーが展開しました。

霊の中では、息子が父親に身体的虐待の末に亡くなったものや、女性の不遇な無くなり方をした霊などのストーリーが何となく頭に浮かぶ感じでした。

そうして、その霊たちの報われない感情を霊能者さんが共感すると、私自身も何となく受け入れられた、共感されたような情動が喚起されます。

そうして、霊を光のもとに送ります。

その際に見えた光景は、霊は白い光の粒の様に見えました。そして、私の感覚で光の方向を向くよう指示されると、霊能者もその光の方向を共有して見ているような感じでした。

私は感覚で光があると思われる方を向くと、その白い粒になった例は光の方向に向かって吸い込まれるように進んでいき、最後には消えて見えなくなるような感覚でした。

その様なやり取りを何度か行った後、私には数百から数千の霊が憑いているようなことを言われました。

光にすでに送った霊に協力してもらい、数百の霊を光の方向に送りました。息子の時と同じように、憑依していた霊がいったん光に戻ると、霊能者の協力をしてくれるようになり、今度はまとめて集団の霊たちを一気に光に送るという作業をします。

感覚では、数百の霊が一気に光に向かっていきました。

しかしまだかなりの霊が残っているようです。しかし今回は息子の浄霊がメインで、時間もかなりかかってしまうので、すべての霊を光に送ることは見送りました。

つまり私にはいまだに数百から数千の霊が溜まったままかもしれません。

親戚と母の霊

霊能者さんが言うには、自死した私の母の霊がさ迷っているとのこと。私は母の供養をしていたつもりですが、生前の母のことを考えると、母が未だに不満な思いを抱えてさまよっている状況は、あまり驚くことではありませんでした。

霊能者さんは、母と簡単にコミュニケーションを取ります。その様子は、霊能者さんがは母と電話をしている様子を私が傍で見ているような感じです。間接的なやり取りを、私が隣で見ているような感じでした。

霊能者さんは、母は一方的に自分が被害者であったことをまくしたてているようなことを言っていました。霊能者さんは「あなた、そんなに自分のことばかり言っても何もはじまらないわよ」と諭しているようにみえます。私は、この一連のやり取りから、それは私の母の特徴らしいな、と感じました。

そのやり取りの中で、霊能者さんは、母を光に送ります。

次に、母と同時期に亡くなった親戚の霊も迷っていたようで、その親戚とも簡単にコミュニケーションを取って光に送ってくれました。

親戚の死因は霊能者さんには言っていなかったけれども、霊能者さんが亡くなる直前の親戚の体感を感じておられた様子で、親戚の死因は霊能者さんの語る死因と殆ど一致していることが不思議でした。

私は、その親戚には特にお世話になっていたので、光の方向に進むことが出来て本当に良かった、と自然に涙が出てしまいました。

こうして一連の浄霊は終わりました。

憑依現象の原因など

霊能者さんい、何故霊がついてしまうのかの原因を伺いました。

霊能者曰く、その原因は様々だが、特定の要因というわけではなく、電灯に虫が集まって行くような習性のようなものだ、ということでした。

原因が分からないのであれば、行っている浄霊は対処療法なのではないか?と伺うと、「そうだ」ということです。

つまり、憑依される体質だとまたいずれ憑依されてしまうのだそう。

このことは、非常に非効率なように感じました。

この霊能者さんが開発した浄霊方法は、この方しかできないような方法だそうです。見よう見まねでやってもなかなかうまくできない世界で、当にそれは職人芸のようなものだとのこと。

では、この世にこの霊能者と知り合えない数10憶の人間は、浄霊という現象については殆ど無防備であるではないか、という思いがよぎりました。

本当に浄霊技術がその霊能者さんしか出来ないのであれば、その霊能者さんの超独占市場になってしまいます。また、後継者もいないということなので、その霊能者さんは人間国宝よりも貴重な人材になります。

その様なことが、霊界や天界、自然界(あるとすればの話だが)が放置するのだろうか?ということが疑問に感じました。

つまり、この浄霊方法は、この霊能者さんオリジナルだが、他にも様々な方法で浄霊的な効果がある方法が数多く存在する、という考えが自然なような印象を受けます。

催眠と霊能力。霊能力は、運動や芸術、語学などといったある才能の一つで、誰でも多少はある特別なものではない。

私が実際に浄霊を体験して感じたことは、その方法と手順は極めて心理療法に近いものがある、と感じたことでした。

まず私は催眠療法を学んでいるので、一連の手順が催眠の技術がかなり入っている印象です。

霊の様子や死んだときの話など、私が知らない物語のように感じますが、私の記憶の合成とも評価も出来ます。

また、私の親戚の死因を霊能者さんが殆ど正確にキャッチしたことも、私の情報場を共有すれば、センスのいい人間であるならば無意識に私の記憶を推測したり、直接アクセスするくらいのことは、訓練された催眠術師や気功、ヒーラーであれば、容易に出来るでしょう。

一般的には、相手の情報を読み取るという行為は、オカルトで非現実的であるように感じるかもしれませんが、実はこの能力は人間という生命体であれば誰でも持っている能力です。

その能力の差が、ある人は運動が得意だったり、ある人は勉強が得意、ある人は芸術関係が得意、そして、ある人は人間の情報を読み取るのが得意(一般医霊能力と言われる一種)というようなだけです。

霊能力という評価基準が、一般社会に殆ど認識されていないから不可思議に思えるかもしれませんが、それは特殊な能力でも何でもありません。

つまりプロスポーツ選手の殆どが生まれながらの運動能力の才能に、多くが恵まれているように、霊能力者もその能力が生まれながらに抜きんでているということです。

そこに人間性が優れている、道徳的に優れている、超人だ、というような偏見がカルトを生み出し話をややこしくします。

優秀な成績を残すプロスポーツ選手であっても犯罪に手を染めて、人々の迷惑をかける人もいるわけです。

運動能力や語学能力、芸術能力が0である人はいません。つまり霊能力が無いという人もいないわけで、またそれは鍛えれば誰でもそこそこの能力がつくことを意味しています。

本質的には同じ、心理療法の手順と浄霊方法

心理療法の手順をざっくり簡略化してみると、                                                   

<A.心理療法の手順>                             1.認識の段階                                       まずクライアントを観察します。どんな様相なのか、不安がっているのか、感情的なのか、落ち込んでいるのか、クライアントの状態をセラピスト側が認識します。                                  2.クライアントの感情を洞察し、共感する                          認識されたのちは、クライアントの置かれた状況、ストーリーをざっくり把握し、クライアントの抱えている感情を把握します。                       3.クライアントの状態や感情をより抽象度の高い状態に移行させる                  認識し、理解し、共感できた感情から、より肯定的なストーリーや意識の状態に様々な技法や知識と技術を用いて移行させます。
<B.今回の霊能者さんの手順>                                 1.霊の生前の様子を探っていく=B.認識の段階                           yes.no形式で生前の霊の状況を把握し、霊がどのような状況であったのかを理解し認識する。                                    2.霊の生前のストーリーに寄り添う=B.洞察、共感                            生前の霊の物語から、「苦しかったでしょう」「辛かったね」とセラピスト側が、感情共鳴をして例と同調する。                           3.霊を光に進める=B.霊の現状の抽象度の低い状態から、抽象度の高い(光)方向に移行させる                                      感情共鳴し、霊と歩調を合わせ、霊と一緒に光の方向を見て、光に送る

このように心理療法の手順と非常に似通っていると感じます。

これは、霊も人間も同じ生命情報(死後は肉体の実であるとすれば、霊も生命情報と言える)であるという括りでいうならば、どちらも同じ存在ということが言えます。

つまり、心理療法は、悩み、苦しみ、病、などという抽象度の低い状態から問題が解決した、より幸せな状態である抽象度の高い世界に移行させるという生命情報に働きかける技法であるならば、

浄霊という心霊技術であるそれは、死後の成仏していない悩みと迷いの世界にいる霊をより抽象度の高い光の世界に送る、という点で同じということが言えるでしょう。

心理療法には様々な派閥や学派、技法が存在しそれは数百以上もあるといわれています。

浄霊の世界も様々な技法がありますが、どちらも働きかけている対象が生前か死後か、ということで同じ人間という情報生命体に働きかけています。

前者は肉体が生きている状態で、後者が肉体が死んで無くなっている状態という違いなだけです。

コアトランスフォーメーション

今回体験した浄霊方法は、私個人的にはコアトランスフォーメーションというNLPの技術を応用した、強力な心理得療法にとても通ずるものを感じました。

この著者のコレニイ氏は後にホールネスワークという素晴らしい技法を編み出します。

この技法は、コレニイ氏が自ら非二元やノンデュアリティのマスター達などのスピリチュアルワークを学び体験したことから生み出した技術です。

つまりスピリチュアルも心理療法も扱う領域が少し違うだけで、大枠で見ると同じ人間という存在の癒しと成長、進化に関わる技法であるので、本質的には同じことが流れているということが言えるでしょう。











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