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奇跡と人間

エントロピー

エントロピーとは、簡単に言うと「混沌」を意味します。エントロピーが増大するということは、その存在がどんどん分解、分離していくということです。

例えば、コーヒーにミルクを一滴たらした時、そのミルクは時間がたつにつれてどんどん拡散し、コーヒーと混ざっていきます。

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エントロピーとは無秩序さ、つまり乱雑ぐあいを表す指標なので、秩序が高い状態はエントロピーが低く、秩序が低い状態は、エントロピーが高いというこになります。したがって、このコーヒーとミルクの話で言えば、「ミルクを混ぜる前と後で、カップの中のエントロピーは増大した」ということになります。

エントロピーは、物質が存在し続ける限り増大し続けます。外部から何らかの働きかけをしてやらない限り、エントロピーが減少することはありません。

この「エントロピー増大の法則」は、物理学の「熱力学」という分野の基本的な大原則の1つであり、自然界のすべての物質がしたがう巨大なルールです。

生命現象は、エントロピー増大の法則に歯向かう存在

ところが、宇宙にはこの法則に抵抗している存在もあります。それは私たち、生物です。私たちが生きているということは私たちの身体を一定の秩序ある状態に維持しているということです。この営みを、「恒常性の維持(ホメオスタシス)」といいます。

私たちにとっ て「死」とは、身体の秩序が保てなくなってエントロピーの増大に抗えなくなることです。生物はエントロピーが支配する宇宙の「時間の矢」に立ち向かい、真逆の方向に独自の「時間の矢」を発射しつづけている、いまのところわかっている唯一の存在といわれています。

時間

そもそも時間という現象は、記憶をもとにした体感であると言えます。例えば、リンゴを放置しておくと、徐々に酸化が進み、最後には腐って分解されます。私たちはそのリンゴが腐っていく、連続的な変化の現象をもって「時間」が存在すると認識しています。

そもそも「時間」という現象は、エントロピーの結果として「時間」という現象が存在するように見えるだけ、とも言えます。

しかし、先ほど述べたように生命現象は生誕してから、自身の身体を恒常的に維持しようとする存在です。

そうして、時間の矢印を過去から未来に向けてみると、単細胞から多細胞、植物、動物、人間という順序に生命は進化を遂げてきているように見えます。

情報空間はエントロピーが小さい秩序的な空間

動物は時間がたつにつれて、だんだんと脳が大きくなって進化して行きました。そうして、人間は前頭前野という最も抽象思考が出来る、個体の生命現象として地球上に存在していると考えられています。

その生命現象の過程は、より高度に情報処理を行える存在を、地球上に誕生させてきたと言い変えることが出来ると思います。

エントロピーが増大するということは、物質現象の分離と崩壊ということであれば、戦争や災害、疫病などの現象は、リンゴが酸化する現象と同じで、人間にとってのエントロピーの増大による崩壊現象の視覚化された現象とも言えます。

となれば、人間の文明は、歴史をたどると戦争や飢餓、疫病というエントロピーが極端に増大してしまう現象を徐々にコントロールできるように進化したともいえるでしょう。

そして、21世紀ではについてに、すべてとは言えないまでも、飢餓や戦争、疫病をほぼ克服したとまで言われる段階にまで成長を続けてきました。

この過程は、情報空間に及ぶ法則や規則を発見し、物理空間に応用してきた過程とも言えます。

物理的エントロピーの増大を抑止するカギは情報空間にある

例えば情報空間の中での法則と言えば、戦争や飢餓が起きないための外交関係や、政治システム、病原菌に対する対抗策などは、全て人間の思考活動がまず先にあって、現実世界に適応されます。

思考活動は物理空間ではなく、情報空間での出来事です。

言い変えると、より人間の思考が情報空間に移行することによって、エントロピーの増大をコントロールし、抑制することが出来るとも言えます。その結果として、物理現象では、戦争、疫病、災害、飢餓などの混沌化(エントロピーの増加)を少なくするということです。

そうして、独裁主義、共産主義、社会主義、資本主義、民主主義という情報空間でのエントロピーの増大をより抑制する制度が模索され続けました。

現代の多くは、独裁主義よりは、民主主義の方がよりエントロピーの増大を防ぐことが出来るシステムだということを何となく認識していますが、民主主義であっても完璧なシステムではありません。

生命現象は、エントロピーの増大から逃れる性質があるのならば、今多くの国々に採用されていると思われる民主主義システムは、エントロピー増大を防ぐ歴史的に見て、比較的新しいシステムということになります。

しかし、エントロピー増大は止まることはないので、時間と共に民主主義というシステムも対応することが困難になっています。特にインターネットの普及によりその傾向は顕著です。

では次にどのようなシステムが採用されるのかについては、様々な議論がなされているところです。

エントロピーが小さいということ

このように考えると、人間社会におけるエントロピーが小さいということは、「より争いが少なく」「分離的ではなく、融合、統合的で」「人々が潤滑に交流し」「死や病、老いという現象が少ない世界」ということが考えられます。

このような世界は、空想の中ではおなじみです。そう、ユートピアやおとぎ話、宗教的に言えば天国や死後の世界というものです。

このような世界は、常に死後の世界や天国、という現象として古来から語りつがれてきました。そしてそこに住む人々の特徴は、病や死とは無縁で、争いはせず、お互いの存在を尊重し助け合う(円滑な交流循環)人々として描かれます。

こうしてみると、人間は古来からエントロピーの増大する物質世界では病や死、争いが絶えない世界から培われたネガティブな感情をベースにして、

そうではなく、情報空間に理想的な極楽の世界(エントロピーの小さな世界)を想像し、創造してきました。

そのエントロピーの極小の存在を「神」という存在として考えてきました。

しかしその死後の世界や天国、神という存在も生命が「人間」というフレームを用いて眺めた物語にしか過ぎません。

生命現象は地球上で35億年あり、人間という存在は数百万年ぐらいの歴史しかないのです。

今後人間が絶滅し、新たなよりエントロピーの小さな秩序で生きる高度な生命体が誕生すれば、人間の創った物語はコーヒーに一滴たらしたミルクのように、その存在はどこかに消え去ってしまうでしょう。

宇宙のミニチュア版である人間

物質的な存在としての人間は、現在70億人とも80億人とも言われています。

様々な人種と価値観、宗教、信念は一人一人違う存在です。

しかしその「違う」といわれる分野は、性格や考え方、気質、個性など・・・全て情報的なものにおいての違いです。

人間は物資的な身体の個体差はあれど、手足、頭、目鼻口、心臓、脳などという同じ身体構造を持っています。

そうして、心の発達も、乳児期、幼児期、児童期、思春期、青年期、成人期、老年期・・・というようにほとんど例外はなく、同じように発達していきます。

物質的な人間の数は存在するだけあり、一人一人が違いますが、身体構造や心の発達というような大まかなテンプレートは一つしかありません。

そしてそれはDNAで描かれており、情報空間の中に存在するものです。

丁度、DVDに映画を記録すると、そのDVDは原理上何枚も量産できます。

しかし、その映画のストーリーは、情報空間の中に唯一無二です。映画のストーリーが一人一人の人生ともいえるでしょう。

しかしそのストーリーを載せている心身は、犬でも魚でも鳥でもない、人間の心身というテンプレートです。

人間のテンプレートのマスター情報というのもが情報空間にあり、それをDNAの配置により個々に違う(人種、体格、性別、能力、気質などそれぞれ異なる)人間が子宮から誕生している、ということになります。

マサチューセッツ工科大学の生理学博士・医学博士のトニー・ネイダーは、人間の生理現象が自然法則や宇宙の構造と自己相似的に展開していることを発見しました。

宇宙は自己相似的(フラクタル)で構成されているので、この発見は、当然と言えば当然かもしれません。

そうなると、人間という心身の構造は宇宙と自己相似的(フラクタル)であり、宇宙のミニチュア版ということが言えます

聖書にある、「神は人を神の形に似せられて創られた」という言葉は、当時の理解と言語で表現できる、宇宙と人間の関係性を表現した言葉であったとも考えられます。

古来の賢者の言葉や聖典が、現代物理学や最新科学の見解と一致したりするということは、調べてみるとよくあることです。

宗教心から離れられない人間が、科学と宗教をこじつけているのだというシニカルな解釈もできますが、そうだと何も先に進まないので、違う視点を考えてみます。

そう、古来の賢人たちは、現代科学の知識がなくとも、宇宙の法則を何故か理解していたという見解です。

時間を越える意識の作用

もともと「時間」という概念は、エントロピーの現象に付けたラベルにすぎません。

そして、エントロピーの増大に反する作用を持つのが生命現象でした。

生命現象は、何億年物時間をかけて人間誕生させ、人間は進化するにしたがって、その価値観や人間性、社会システムをより平和的で協調的、生産的なシステムを構築してきました。つまりエントロピーが小さい方向に突き進んでいるということです。

そのアジェンダは、霊界や天国、死後の世界というように古来から人々の想像の世界・・・(情報空間)・・・の中に受け継がれてきました。人類の文面の進化とは、その世界観が時間をかけて地球上に再現されてきているとも言えます。

そのエントロピーの小さな世界に住んでいる住人は、死や病、争いとは無縁で、愛と調和にあふれている人々を夢想します。

彼らは先に述べた、賢者としての存在であり、よりエントロピーの小さな存在になると、個体としての差異が無くなりより神に近くなってきます。

そうした存在は、古来から人々の情報空間(想像の世界)で理想の存在、救い主として常に存在していたということになります。

その様な情報存在を、物理世界でより純度良くダウンロードした者たちが、聖者や賢人、哲人と呼ばれてきたのだろうと考えられます。

彼らの思考はそもそも時間に縛られない(エントロピーの法則に縛られない)ので、時間や文化、価値観を超越して受け継がれてきたというわけです。

それが、文化や状況によっては宗教や伝説として語られてきているとも言えます。

重要なことは、この物理次元も、抽象度の低い情報の現れの一つ

これまで、物理次元と情報次元を分けてお話してきたように見えますが、実際は、この物理次元も情報空間の一つの現れです。

物理空間は情報空間のある一面にしか過ぎません。

そうして、私たちの心身は、宇宙と自己相似的な関係性にある生命現象であることは、避けようのない事実です。

つまり、物理空間のエントロピーを出し抜き、エントロピーの小さな空間に存在する賢人たちや偉人たちと同じスペックを持っているということです。

言い変えると、キリストも仏陀も、私たち一人一人の存在も同じ脳と心を持っているということです。

キリストは、「私は人の子であり、あなたたちは私と同じかそれ以上のことが出来るだろう」という言葉を残しました。

この言葉の所以は、適切な脳と心の仕組みを理解し、活用すればだれでも自分(キリスト)と同じ技が使えますよ、ということです。

「脳と心」は、乱暴な例えで言えば、「スマホ」のようなものです。

スマホを全く扱い方が分からなければ、電話機としてしか使えませんが、その機能を十分に知って扱えば映画の撮影から、インターネット、読書、TV,映画鑑賞、・・・などなど様々に使いこなせます。

それらの素晴らしい機能を使う理由と、使い方などの知識があるだけで、誰でもその能力と機能を使いこなせます。

それはオカルトでもなんでもない、当たり前のことです。

その使い方、ということが、現代社会ではかなり多くの分野で公開されているように思います。

いずれ人間は、キリストのように水の上を歩き、他者の病を治し、無機物を食料に変える・・・というような奇跡を当たり前のように出来るのだろうと思います。

奇跡とは、エントロピーとは逆の現象を創造できることであり、そのカギは情報空間の理解にあります。

情報空間の理解とは、また堅苦しい表現ですが、言い方を変えると「生命現象の理解と応用」です。

昔は難病だった病が、今ではすぐに治ってしまうという現象は、過去から見たら奇跡以外の何者でもあありません。

その違いは、生命現象を理解し、応用したから難病の治癒の再現が出来るということです。

丁度マジシャンのマジックの種が分かったかのように、当たり前に今では考えられない様々な奇跡が出来るのでしょう。

ただし、マジシャンの種よりは、そこには壮大で畏敬の念に駆られる事実があるかと思いますが。






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