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憑依現象についてどう考えるか:理論と背景編 ―その2―

前回の記事では、この世界は映画マトリックスのようにコンピューターでプログラムされたアルゴリズムによって構成されているということを見ました。

つまり私たちの目の前に広がる世界や、人間の身体と心、性格、知能、能力、気質、感情といったものも全て何らかのコンピュータ上のアルゴリズムで記述可能な数式であるということです。

では、この物質世界を構成している背景の世界や数式の世界とはどのようなものなのでしょうか!?

あの世の世界と般若心経

ところで、スピリチュアルに関心のある人々の多くは、前回の記事で紹介したプラトンの「イデア論」の太陽の世界や、関数の世界を「死後の世界」や「霊界」と捉えます。

実際多くのスピリチュアルや宗教の思想では、死後に魂がいく先としてアストラル界やコーザル界など、魂のレベルによって行く場所が異なることを示唆します。

そしてより素晴らしいステージ(死後の世界のランク)に行くためにこの物理世界で利他的に過ごすよう諭します。

その論理は魅惑的で、面白いように感じますが、それは私個人的には少し懐疑的に捉えています。

私は「死後の世界」も「霊界」も、プラトンのイデア論で言うところの洞窟の影の延長のようなもののように見えます。

何故なら、様々な文献や霊能者、臨死体験者の言う死後の世界の証言をたどると、霊体での5感で捉えられる形を有しているからです。

霊能者も霊感でその形や色、におい、声などを聴いているということは、それらはあるパターンを示すアルゴリズムであり、「形」の世界でもあるといいうことを意味します。

霊感での視覚、味覚、聴覚、嗅覚、触覚も、仏教の般若心経で言うところの「色」というわけであり、「色」は「空」という「色即是空」のはずだからです。

つまり霊能者の霊感による知覚は、より精妙な感覚なのかどうかは分かりませんが、結局、悟りの階梯の中途過程なわけです。

霊能者が被験者の背後霊や、死んだ祖母の霊を見るとき、その性格や特徴、癖などの記号を読み取っています。それらは何らかの、記述可能な情報であるということです。

つまりそれは見えない数学の世界―「空」―ではないということを意味するでしょう。

それらをアストラル体やアストラル界と呼ぶのかもしれませんが、いずれにしても般若心経でいう「色」であり、それは「有」の世界であるように思えます。

「空」とは「有」と「無」を包摂する最も抽象度の高いせかいでありながら、非二元/ノンデュアリティの言葉で言い変えると、いつも常にある「愛」の状態です。

プラーナ(生命素粒子)で構成する世界

この物質世界は、素粒子で構成されています。

そして、あの世と言われるアストラル世界は、プラーナという粒子で構成されているといいます。

プラーナは中国では「気」と呼ばれ、苫米地博士の「生命素粒子」と表記されます。

生命素粒子が集まり場を形成し、階層性のある「超情報場」を形成します。その中の場の一つがアストラル界やコーザル界を構成し、その写像としてこの物質世界が出来ている、と考えることが出来るかもしれません。

つまりアストラル界やコーザル界、天界という情報場は、物理空間よりもより抽象度の高い世界で、その世界に古来からのスピリチュアリストがアストラルやコーザル、天という名前のラベルを張っているのかもしれません。

超情報場では、この物理空間は最も抽象度の低い情報空間で、より抽象度の高い空間はまだまだ存在します。

ちなみに最も高い抽象度は「空」で、最も低い抽象度は「矛盾」です。

だからこの抽象度の低い物理世界では様々な「矛盾する現象」が存在し、争いと葛藤が絶えないとも考えられます。

これらは、プラトンのイデア論と非常に似通っているように感じます。

つまり物質世界は、イデア論で言うところの洞窟に映る影で、より太陽の光源に近い世界にアストラル、コーザル、天界というような情報場が連続的に並んで存在しているということです。

アストラル界の写像として、この世である物質世界があるのかもしれませんが、このアストラル界もより高次の精神界や天界、神界などのより抽象度の高い場の写像と考えることができます。

アストラル界もコーザル界も精神界も天界も、そしてこの物理的な空間も、情報空間のスペクトルの一つの表れで、

この世もあの世も、アストラル、天界など、すべて「今ここ」に並行して存在します。

それらすべての情報空間は、情報の階層性で表現されるそれぞれの世界観で、結局幻の一種とも言えます。

情報空間(DNA)≧物理空(身体)

こうして考えると私たちの心身は、何らかの数式で表現さる、ある情報空間の写像です。

これは一般的な現象としてはDNA情報の書き換えにより物理的な身体が疾病にかかりにくくなる体質になったり、機能脳科学の領域における認知の書き換えで感情や気質が書き換わってしまうことの背景かと思われます。

これらは、情報を書き換えることで、物理的な生体が変わったという例です。

情報空間の海の中で、物理空間が浮かんでおり、その物理空間の中に私たちが存在します。

しかし普段生きていると物理空間を支える場が、情報空間にあることは普段は気づけません。

物理空間を直接支えている、この情報空間(例えばアストラル界)は、プラーナ(生命素粒子)で構成されています。情報であるDNAをいじると、物質的な身体が書き換わるように、情報空間を書き換えると現実世界が書き換わります。

「情報空間(DNA)≧物理空(身体)」

というような関係式が成り立ちます。

素粒子の世界が波動方程式で表記されるように、プラーナの世界も波動的な性質であると考えることが出来、何らかの波動関数で表記できると考えます。

波動関数であれば、それは何らかの数学的性質を持っていると考えられます。

数学的な性質には、「宇宙際タイヒミューラー理論」があります。その中の重要な概念で、「対称性通信」という概念があります。

「対称性通信」とは、ざっくりいうと『似通った構造をしているもの同士はつながっていて、通信しあう』

ということです。

「対称性通信」は「量子のもつれ」に関連するのでは!?

量子力学で、「量子のもつれ」という現象があります。

             「量子のもつれ」                                       ミクロの世界を正しく説明するうえで欠かせない量子力学に、「量子もつれ」と呼ばれる現象がある。量子もつれとは、2つの粒子が強い相互関係にある状態であり、粒子のスピン、運動量などの状態をまるで「コインの裏表」のように共有する運命共同体のような状態を指す。                  例えば、一方の粒子を観測したときのスピンが上向きであれば、もう一方は瞬時に下向きになる。このような量子もつれにある2粒子間の状態は、どれほどの距離──たとえ銀河の端から端という途方もない隔たりがあろうが、維持されるのだという。この同期の速度が光の速度を超えるという、まるで空間など存在していないかのような非局所性から、偉大な物理学者アルバート・アインシュタインが、かつて「不気味な遠隔作用」と呼んだほどだ。

このように、似たような粒子や構造は、どんなに距離が離れていようとも、繋がって通信しています。

人間を何らかの波動関数と表現すると、親子関係や似た者同士、強いきずなで繋がっている者、愛し合っている人々は、「量子のもつれ」や「対称性通信」で繋がり、通信し合っているということが考えられます。

それは名作映画「インターステイラー」での父と娘の関係性です。この映画では、物理的にどんなに時空間が離れていても、お互いの強い絆で通信し合っている様を描いた名作として挙げられます。

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スピリチュアリズムのグループソウルの法則

「対称性通信」や「量子のもつれ」は物理的な素粒子間ではたらくだけではなく、もちろんプラーナ(生命素粒子)の基本的な性質として在るものと考えられます。

何故なら情報空間が主であるならば、物理空間で輸している性質は情報空間の存在は当然有しているはずだからです。

そしてプラーナ(生命素粒子)が構成することで霊界や魂、霊魂が構成されるならば、そこには似通った性質の魂は繋がり、通信していることが容易に想像できます。

これをスピリチュアルの界隈では「波長の法則」、「類魂の法則」と呼んでいるように思えます。

ところでスピリチュアルの源流は、英国の100年以上前の「三大霊訓」にさかのぼることが出来ます。

そのスピリチュアリズムの本質の一つに、「グループソウルの法則」というものがあります。

『グループソウルの法則は輪廻の階層性の別の言い方で、同じ階層の人が集まる、現世が階層の鏡だという発想です。「何百回も生まれ変わるけど、今一緒にいる人たちは前世でも一緒にいたんだよ」ということです。
そして、グループソウルがこの世で集まるための情報伝達手段が波長になるわけです。これは要するに気功の気、ヨーガで言うプラーナにあたります。プラーナの伝達によってお互いを呼び合う、要するに気が伝わるということです。(スピリチュアリズム 苫米地英人 著 2007)』

つまり、プラーナで構成されている情報的な私たちは、同じ波長の情報を「対称性通信」でつながり、通信しあっていることをこれらの文献は物語っています。

情報空間での「対称性通信」や「量子的もつれ」が「憑依現象」の正体

情報空間での「対称性通信」や「量子的もつれ」。それは巷でいう「憑依現象」の正体の一つでもあると考えています。

その個人が似たような性質、気質、思考、感情という変数は情報的なものなので、数学的に記述可能です。

数学的に記述可能ならば「対称性通信」がはたらき、似たような性質、気質、思考、感情の存在と通信し合う。

結果、好みや考えが合う友達や恋人、集団が形成される、ということになります。

仏教徒の中にキリスト教徒やイスラム教徒がほぼいないことや、同じ文化や価値観同士のものが繋がりやすい本質的な理由がここにあると考えられます。

これは日常生活で言えば、物理次元であるならば、現実的な交友関係や、職場、学校などの関係性での情報のやり取りです。

情報空間でのやり取りであるならば、映画や本、漫画、小説、芸術作品を見ることで何らかの情報伝達が起こり、何かの気づきやインスピレーションに発展します。

波動共鳴すると、エネルギーは増幅し、物理的現実世界でも大きな発展を生じさせます。

それは、交友関係では友情に発展し、恋人同士は結婚に。映画や漫画、芸術の情報にインスパイアされれば、新たな作品を生み出す気づきにつながるかもしれません。

このように、情報空間上のエネルギー体が、物理的に生きている人間の考え方、感情、思考、気質という情報的な波動関数に引き寄せられます。

ネガティブな思考、感情、性格、気質ならば、そのような波動を持つ情報体が磁石のように引き付けられ、波動共振します。そして、波動共振が大きく触れると、物理世界でも現象化します。

つまりネガティブな波動なので、分離や破壊といった現象に発展します。心身の病や日常生活でのトラブルとして現象化するかもしれません。

これがネガティブな波動共鳴であり、昔から言われた憑依現象の理解です。

霊が見える、死んだ存在が見えるということは、ネガティブなプラーナ(生命素粒子)が結果として作り出すホログラフィックであるということが推測できます。

長くなったので、「その3」に続きます。










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