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何故専門家と言われる人々の意見が異なるのか。今日のカオス的な情報混乱期が起きている理由について。

(※今回の記事は、言語化すると厄介な分野で、ちょっと未完成な感じです。しかし、自身のメモや気づきも含めて、書き起こしています。)

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世界的に著名な意識研究科であるケン・ウィルバーは膨大な学問的知識を総合し、宇宙の進化の構造を結論的にしめしました。そこでは西は西洋哲学やキリスト教、西洋を中心とした現代心理学、そして東はアドヴァイタヴェーダンタから仏教、道教などをまとめ、抽象化した図を描きました。それが、上図の「存在の大いなる入れ子構造」の図です。

 この図の示すところによれば、はじめは物質だけだった宇宙に、物質(A)を基礎としてし生命(B)が誕生し、生命(B)の中に心(C)をもつものが生まれ、心(C)の中から魂(D)が生まれ、魂(D)の中から、霊(E)が創発するというように宇宙は展開していきます。

この図から概観して、私たち人間を例で言えば・・・

・上図、物質(A)の発達段階:私たちは皆、精子と卵子が結合し、受精卵になったところから細胞分裂を繰り返し、数億年の進化の過程を母親の子宮の中でたどりながら胎児へと成長します。この時期は、まだ感覚器官が形成する前で、殆ど物質的な状態と言えます。

・上図、物質(A)+生命(B)の発達段階:そして、次に物質的な身体が発達すると「感覚器官」が芽生えます。このころはまだ目が見えず、耳も聞こえず感覚的な反応を主に頼って生命を維持します。

・上図、物質(A)+生命(B)+心(C)の発達段階:上図による、感覚器官から様々な経験から、快・不快の情報を受け取ります。多くは母親という絶対的な養育者との関係性から「感情」が芽生えます。養育者である存在が、自分の欲求を満たす場合は心地よい感情が育ち、そうでなければ不快な感情が生まれます。

そして、2歳から3歳ぐらいになると、自分が「何が好きか嫌いか」という評価基準が明確になって行きます。

そうして遊びや交友関係を通して、また学校という環境から社会を学び思考力を鍛えることで「心」が発達していきます。

思春期になると、「私とは何者なのか」、という存在論的な命題に夢中になって行きます。

心身は成熟し、発達する領域はもっぱら心や思考などの情報空間に移行します。

・上図、物質(A)+生命(B)+心(C)+魂(D)の発達段階:そして、成人になると全てではありませんが、中には時空を超えて「自分とは何なのか」、「死んだ後の自分の存在とは何なのか」、というように肉体が無くなった後の自分の思考や心を超えた領域に関心を寄せ出します。

自身の死後の財産分与や自分の経験や功績、残してきた知恵が子孫や後世にどのように受け継がれるかという、時空を超えた推論は、心身の領域を超えた範疇です。これを魂の領域として考えてみると、スピリチュアルやオカルトの世界で言う魂とは違う意味でより現実的に把握されやすいかもしれません。

上図、物質(A)+生命(B)+心(C)+魂(D)+霊(E)の発達段階:自身の魂の領域を超えた働きにも意識が芽生えます。それはなぜ私たち人間や動物、この惑星や宇宙が存在するのかという領域への関心事です。

何故「花は花」で、「鳥は鳥」なのか。人間はこの地球や宇宙にあって、何の存在意義や役割があるのか。最初は原子や元素などの物質の寄せ集めにしか過ぎない土くれから、何故生命が誕生したのか。

その物質である生命が誕生した確率をたどると、偶然という数値では図ることはできません。

数学的にその確率を測ると、「バラバラになったジャンボジェット機の部品が、嵐に吹かれて空中で自然に組み合わさって飛行機になって飛んでいく確率に等しい」と言います。

そこには何らかの力や意志、働きが存在するように考えます。それらの見えない働きの総称を「霊」と呼びます。

霊の働きを意識し、把握する段階です。

だいたいそれぞれの発達段階の概要について、上記のように考えてみました。

霊の形態変化としての区分

存在の多いなる入れ子は、時間軸を過去から未来という通常の感覚で捉えると、

『①物質⇒②生命⇒③心⇒④魂⇒⑤霊』

というように①⇒⑤という順番に順に発達していくように見えます。

この①~⑤の段階は厳密に区別されているわけではなくて、機能的/状態的な区分けというように考えてもらえたほうがより正確です。

というのは、全ての物質の原材料は素粒子で構成されているように、そして水が液体、気体、個体というように変化しますが、その構成元素は水素原子と酸素原子の結合具合であるというように、

①②③④⑤の形態変化は全て「霊」という状態が状況によって形態が変わったものとして考えることが出来るものです。

この①物質、②生命、③心、④魂、⑤霊という5段階は大まかな段階であって、より細かに分けると8~9の段階に区分することが出来ます。

存在の大いなる入れ子の断面図

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図14は存在の大いなる入れ子の断面図です。

この図14の感覚運動的~元因までの段階は、先ほどの①~⑤までの段階をさらに細かく区分したものと考えていただけると良いかともいます。

人間の段階でなぞると「感覚運動的」な段階は生後1歳くらいまで、次いで「衝動/情動的」な段階を3歳ぐらいまで。

また「表象的な心」は6歳ぐらいまでに、「規則/役割」の段階は就学した後に発達し、「形式操作」の段階は成人までの段階で成長・発達されるとされます。

西洋の発達心理学では、この「形式操作」の段階までを以て大人の心の成長は発達はしないという暗黙の見識が多数を占めているようです。

しかし、成人した後も心と意識の成長は止まることがありません。

記録によるとさらに「ヴィジョン・ロジック」「心霊」「微細」「元因」というような意識と心の発達段階は確かに存在します。

東洋哲学や仏教では記録もされているのですが、単にその段階に達した人数が歴史上極端に少なかったことと、世界が近代の西洋心理学や哲学思想に染まってしまい、その存在すら認識されていなかったことが理由で、

成人した後は人間はとくにその後、飛躍的に発達することもなく社会での役割をこなすことに意識が向けられてきたという背景があります。

また、意識の発達段階が上がって行くほど抽象度がより高く、視点を広く見渡せる発達段階になります。

以前の抽象度の記事にも描きましたが、抽象度の高い意識状態の方がその持っている潜在能力とエネルギーは高いのです。

つまり、釈迦やキリストが心と意識の発達段階が元因(またはそれ以上)の段階であったと考えると、彼らの「空」や「愛」の教えが、今日までの多くの人々の指針や救い、そして宗教はもちろん組織や政治に大きく影響しているのは、彼らの教えと意識の抽象度の位置エネルギーが巨大であるために、2000年以上たってもその影響力が色あせないということの事実の裏づけになっていると考えられます。

発達段階の特徴               ー低位は高次を部分的にしか理解できない―

この意識の発達段階の特徴として、

『下位の段階は上位の段階を認めない、もしくわ認識できないという傾向がある』

と言われています。

これは当たりまえと言えば当たり前の現象です。

数学の領域で考えてみると、足し算や引き算しか分からない子どもは、微分積分やましてやフェルマーの定理などは、全く知らない外国語のように見えるでしょう。

その式の理解すらすることが出来ません。

つまり、図14における「表象的な心」や「役割/規則」の段階の者は、その上の「ヴィジョン・ロジック」「心霊」「微細」といった段階は、彼らの認識の枠内でしか理解できないし、その発達段階の機能や意味などは全く理解することは不可能です。

それそれの段階について

「感覚運動的」段階は成人してからも発達は続きます。

例えば運動能力は感覚運動的能力です。それにも能力にも段階があり、体操や陸上も個人的に得意なレベルから、全国大会で優勝するレベル、そしてオリンピックで金メダルと取るぐらいのレベルまで様々です。

スポーツとは、主に体による感覚運動的な能力を発達させる科目です。その段階は町中の体操教室からメダリストまで無数の段階が存在します。

そして、「形式的操作」のレベルを例にとると、数学的な能力も同じように、小学校の算数教室で上位になるレベルから数学オリンピックのレベル、そして世界中の数学者がチャレンジしている難問を解くレベルと様々です。

ここで図14のヴィジョン・ロジックの段階に記してあるa~dの部分を例にとってみます。

まず下位段階aと下位段階bはビジョン・ロジックにおける基本的な能力を示しています。

こうした基本的な能力は次の段階である「心霊」が安定的に出現するには必要なものです。

一方で、下位段階cと下位段階dはヴィジョンロジック段階における、特殊化した能力、極度に発達した能力を示しています。

こうした能力は次の段階への発達が起きるために必要なものではありません。

例えば、もし仏陀やキリストであれば、下位段階aや下位段階bの能力はきっと合格するでしょうが、下位段階cや下位段階dの能力を測るテストには合格しないかもしれません。

これも当たり前と言えば当たり前です。

感覚運動的な能力が金メダリストレベルであったとしても、形式的な能力の出現には関係ないからです。

殆ど全ての人々が、感覚運動的な段階の基本的な段階をクリアして、それ以上の特殊で極端な能力(オリンピック金メダリストクラス)の能力を携えなくても、「衝動や情動」の段階、「表象的な心」の段階を達成しています。

これはあたりまえ過ぎて確認する程でもないことですが、しかしながら非常に重要なことでもあります。

権威と慣習的な思考で意識の発達段階を混同している世の中

しかしながら、世界の殆どが「形式操作」の段階で、今ヴィジョンロジックの段階が徐々に芽生えている時代に、先の「心霊」や「微細」の段階などは認識することは困難です。

しかし人口のわずか数パーセントの割合で、それらの心霊、微細、元因の発達段階の人は存在します。

現代のTVやニュースを見ていると、常識や固定観念といった慣習的思考が邪魔をして、どの人の意見が抽象度が高く有益な情報で、どの人の見解が保身的で利己的な主張なのかを見極めることが難しい世になっています。

誤解を恐れずに言えば、感覚運動的な分野のマスターである金メダリストが、「形式操作」の領域の政治家になっても行ってきた分野が違うので良い政治家になるとは限りません。運動と政治や経済の世界は全く異なるからです。しかし有名だというだけで当選率は上がってしまいます。

医療や感染分野などの専門分野に長けている人がそのまま人権や生命倫理に関連する発言をして、その意見がまかり通った政策が強行されることも目にします。

TVで表層的なコミュニケーション能力が長けているというだけで、政治、経済、生命、倫理に影響を及ぼす立ち位置で意見を述べることが出来る様子も見られます。

そして、本当に時空を超えた生命観から発信される情報が、低次の発達段階にには認識されないがゆえに、無視、盲殺され、場合によっては「オカルト」「おかしな考え」というレッテルを張られてしまう今日の状況は非常にカオス的な状況だと感じています。

その様なカオス的な状況では、不必要な摩擦や困難、苦しみ横行しています。

しかし私たち一人一人によって構成される集合意識の発達段階がさほど高くないので、集合意識は地位や名誉、著名人という肩書だけでそれらの意見を是としてしまいます。

結果、マスメディアから流れる集合意識を創る情報群は、恐れる必要がないものを恐れるように促し、警戒すべきものに対して寛容にならせるような情報を発信している状況が続いているように感じます。

対応

こうした混乱し、カオスの状況では、まず今現在の世の中が「混乱している状況だ」と認識することからはじまります。

同じ生活空間にいても、今日の状況を「何も起きていない平和な状況だ」、というように認識している人もいれば「今は戦時中に匹敵するほど困難な状況だ」、と認識する人もいます。

それぞれの世界観から見た認識なので、そこには正解も不正解もありません。

しかし、その解釈が、「どの抽象度のの視点から発しているか」ということが重要です。

・抽象度の高すぎる視点では:「空」の視点に近くで常に平和ではありますが、現実的な操作や日常の運用には全く不向きです。何が起こっても、「それは愛の現れ」「光の導き」と解釈します。聞こえは良いですが、彼らは知識もなく、ただ日々を動植物のように暮らす生き物と変わりありません。

彼らの発する波動は平和で穏やかですが、地球や社会は抽象度の低い存在に牛耳られたままで、この世から苦しみは消えません。

・抽象度が低すぎる中で「平和」を感じているのならば:それは誰かの仕掛けられた空間の中で安穏と過ごしているだけで、実は搾取されていることも実感しない奴隷の状態なのかもしれません。

・抽象度が低い中で、今が戦争状態だと認識しているのならば:それは陰謀論者の発信を鵜呑みにして不安と恐怖でただ単に操られてているだけかもしれません。

・抽象度が高い視点で、現在が戦時中と認識できているならば:きっと自分が何をすべきかの解決策と行動が見えているかもしれません。

上記のどのタイプでもない、何の危機感も平和の感覚もなく、日常の日々の出来事を淡々と繰り返している状況のパターンもあるかもしれません。

個人的には、現代は類まれなる激動の時期のように見えるし感じています。

格差社会やパンデミックによる不要な苦しみや、不毛な争いが本当に終焉するには、一部の支配層が創るピラミッド構造が壊れるといった、よくある見解が思い浮かびますが、それは「集合意識」が成長し、発達した結果としての副作用として起こるというのが本質でしょう。

集合意識とは、私たち一人一人の認識と知識から成る意識状態から構成されています。

私たち一人一人が、正確な認識と知識を運用し、不必要に恐れず、適切な行動をとるだけで、その行為は身近な人に波及し、結果として集合意識は成長していきます。

そうなると、これまで正しいとしてきた常識や、権威者、肩書でものを言っていた人達の言動が根本から間違っていたということに沢山気づくと思います。

そして、その気づきが一定数を超えたときに、これまでの常識や固定観念は反転しだします。

現代は、これまでにないくらい分かりやすく虚偽の情報が毎日流れ続けています。

その「おやっ!?」というごく普通に感じる感覚を大切にし、勇気をもってちょっとだけでも発信することが、多くの人の勇気や希望に繋がりやすい時期です。

言っている内容が回りくどいかもしれませんが、ここ数年のパンデミックの世界の流れすべてに対して書いている記事になります。

このnoteの記事も含めて、自分の言動が、誰かのより抽象度の高い世界に繋がっていくよう、そして、集合意識がより高い次元になるよう願いを込めて発信しています。




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