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「いじめ」という現象を生命現象という視点から考えてみる ―その1ー

いじめ対策

私は医療、福祉、教育の分野で心理師の資格を持って仕事をしています。特に教育現場での仕事を最も多く携わっており、特にスクールカウンセラーという仕事に縁を沢山いただいています。

その中でも「いじめ」という現象について、どのように向き合い、どのように対策し、どのように解決に向けるのか、ということはとても大きなテーマになっています。

「いじめをなくす」「いじめを根絶する」「いじめを撲滅する」・・・というような言葉はよく聞きます。それに対して、「いじめは無くならない」ので、あるのが前提で対応しなければならないという見解もあります。

どの見解もそれぞれの立場で正確に、いじめについて考え、述べているのだと思います。

私個人的には、「いじめ」という現象は、人間が進化すればいつの間にか無くなっている現象であろうと考えています。ここで言う進化とは「意識」の進化のことを指しています。

「いじめ」という現象は、いつでもどこでも全ての人が関わっている現象です。たとえ一人で生きていると考えている人でも、自分を責める、自己否定感がある、という状況であればそれは自分自身をいじめているわけです。

また、SNSで誰かに心無い言葉を書いたり、後先考えずに書き込みをして短絡的なストレス解消を行うことも、いじめの一種でしょう。

こうしてみると、いじめとは、誰にでも起こっていて、日常茶飯事の出来事であると捉えることが出来ます。

そういうわけで、今回「いじめ」について少し考えてみたいのですが、それにはまず「いじめ」という現象が人間に起こっているのであれば、いじめという現象は生命現象の一側面であるということです。

そこで、そもそもその生命現象というものは何なのか、ということを振り返りながら、いじめについて考えてみたいと思います。

なんだか壮大ですが、お時間のある時に読んでいただけると幸いです。

生命の誕生から考えてみる

私たちの住んでいる宇宙は、ホログラフィック的な状態であるという説を唱える物理学者が、近年注目を浴びています。

それはさながらVR(ヴァーチャル・リアリティ)ゴーグルをかけて別の世界を体感しているかのように、この宇宙が存在しているということです。

VRゴーグルを掛けると、目の前には海や砂漠、大都会の摩天楼や、近所の風景、そして銀河宇宙・・・とプログラミングされた本物としか見えない立体映像が展開されます。

せいぜい2~30㎝程度の大きさしかないゴーグルの中に、いくつもの宇宙が展開しますが、視聴者はその世界の中に入り込んだかのような体感を覚えます。

私たちの生きている現実もこれと同じで、物理的な現象としてこの宇宙が展開されているのではなく、情報としてあたかもこの宇宙が本当に存在しているかのように5感で感じられているだけにすぎない、という主張がホログラフィック宇宙論です。

この話になると何度も引き合いに出されるのが映画の「マトリクス」です。この映画のように私たちの世界は、脳内で見せられている幻想プログラミングを生きています。

「世界5分前仮説」のように、宇宙は145憶年かけて生成されたのではなく、5分前に、その145憶年かけて作られたようにホログラフィック展開しているとすれば、3次元的な時間と空間の縛りから簡単に外れることが出来ます。

「世界5分前仮説」:イギリスの哲学者バートランド・ラッセルによる。「世界は5分前に始まったのかもしれない」自分の人生や体験したこと、宇宙の年齢も「それらの記憶もまた5分前に作られたもの。」この仮説は否定されることが出来ていない。                                         『世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した、という仮説に論理的不可能性はまったくない。』
— ラッセル "The Analysis of Mind" (1971) pp-159-160: 竹尾 『心の分析』 (1993)

つまり全ては「記憶」という情報で構成されており、記憶情報は5感と情動という構成要素からなります。

身近な例では、寝ている時に見ている夢です。夢は、日中の記憶を基に構成されています。私は夢の中で、ある異世界で4年間過ごしたことがあります。起きて目が覚めると、4年経った夢だった、という感覚が残っていました。

夢の中では怪物がいたり、UFOに乗ったり、未来の世界を訪問したりと、色々体感しますが、それらは、実際には意識の中に映る映像体感の情報の集まりとして表されます。つまりここには物理的な要素は一切必要ありません。

宇宙万物は、よりシンプルでコスパのかからない仕組みを採用しているという前提があるならば、物理的な宇宙を現実にいくつも作るよりも、情報的な宇宙を、簡単にコスパを掛けずに生み出すことの方がよほど理にかなっているわけです。

ホログラフィック宇宙論によれば、このような仕組みで宇宙が構成されているというわけです。この構造が、古来から伝統的に言い伝えられてきた、スピリチュアルの見解と一致しています。つまり仏陀が言うように、この世は幻だということです。

夢の構成要素は!?

現実世界がVRのようなホログラフィック映像のように構成されているとします。そうなると、そのホログラフィックの構成要素は何なのでしょうか!?

実際の映画で考えてみると、映画のスクリーンに映っている画像は、光の点が様々に組み合わさって様々な風景や動植物を構成しています。

物理次元の話をすると、この世界は細分に分割すると、素粒子という極小の粒子で構成されているということになります。その素粒子が何もない無の空間から突如現れては消え、という現象を繰り返しています。

そのような素粒子が集まり、この物理次元を構成しています。

ホログラフィック宇宙論に話を戻すと、物理次元がそっくりそのままVRで表現できる情報的な物であるならば、物理次元を構成している素粒子も同様に、VRに映る画像のような情報的なもので表現できることになります。

物理次元を構成する素粒子も、そっくりそのまま映画のスクリーンに映る画像の一種ということになるからです。

認知科学者の苫米地英人博士は、自身の「超情報場仮説」において、この物理次元はそもそも情報の現れの一つであり、物理次元は情報次元の最も抽象度の低い現象の現れだ、と言います。

目の前の物理次元は、情報次元の写像として存在するということです。

写像:二つの集合が与えられたときに、一方の集合の各元に対し、他方の集合のただひとつの元を指定して結びつける対応のこと。                       下図は写像の例:

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上図、Aを情報空間、Bを物理次元として考えてみると、もともとの本質はAの情報空間にあり、それが写像で投影されたものがBの物理次元ということになる。

Bの物理次元の最小構成要素は物理的な素粒子であり、そしてAの情報空間の最小構成要素は、苫米地博士によれば「生命素粒子」という言葉で名付けました。

つまり情報空間は、生命素粒子という極小の粒子で構成されているというわけです。これが「夢」という幻を構成している最小構成単位ということになります。

生命素粒子とは

生命素粒子は、「思考」や気功の「気」の元として考えられています。この考えは全く初めての概念ではなく、インド由来のヴェーダ哲学から言われていた「プラーナ」という概念にかなり似通っています。

プラーナ:「プラーナ(梵: प्राण、prāṇa) は、サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉である。日本語では気息と訳されることが多い。インド哲学では、同時に人間存在の構成要素の1つである風の元素をも意味している。そして生き物 (すなわち息物) の生命力そのものとされ、やがてその存在はアートマンの根拠にまで高められた。(Wikipediaより)」

また、「あるヨギの自叙伝」という名著による、プラーナに関する別の記載では、

「生命を構成する、知性を持つ、原子よりも精妙なエネルギーの火花で、ヒンズー経典では集合体をプラーナと呼ぶ。・・・(中略)・・・その本質は、神の想念の凝縮したもので、幽界を構成する実質であり、物質宇宙の生命原理である(人間の永遠の探究p483)。                         原子や電子は盲目的な力であるが、プラーナは固有の知性を持った力である。例えば、精子と卵子の中にあるプラーナは、胎児の発育をそれぞれの持つカルマ(※注:役割や機能に近い意味と考えられます)に従って誘導しているのである(あるヨギの自叙伝p431)。」

(※生命素粒子とプラーナに関する考察については、以下が参考記事です。)

プラーナ=生命素粒子として考えると、生命素粒子は「物質宇宙の生命原理である」ということが導かれます。

つまり近代科学が考えてきた、135億年前のビッグバンという物理的なイベントがあって生命が45億年の後に生命が誕生したという、

「物質⇒生命」

という流れで私たちが誕生していたわけではないということです。この図式では「物質が生命の母」ということになりますが、実際はそうではありません。

生命場(プラーナで構成されている)というものがあり、その因果でビッグバンやマルチユニバースという物理的な宇宙が誕生したという、

「生命⇒物質」

という図式が導かれます。

つまり、「生命が物質の母」であるということです。

※ちょっと長くなってきましたので、続きは次回にしたいと思います。












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